vol.11は、名古屋にて広告代理店を経営する南原俊雄(@なんちゃん )さんです。

SMクラブの店長をはじめ、多様な経験を持つ南原さんの人生観や今後の使命とは?

南原俊雄さん

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名古屋をベースに、東京、大阪の3拠点でインターネット広告企業を経営する。アイアンマンにも出場するトライアスリートでもあり、生粋の音楽好きでもある。

仕事で大切なことはすべてSMクラブで学んだ?

―    プロフィールを拝見した時、今のお仕事に至るまでの経緯がバラエティに富んでいるイメージなのですが、改めて今まで経験されてきたお仕事を教えてください。

    山口県の萩市出身で、高校卒業後に、音響やレコーディング技術を学ぶ東京の専門学校に進学しました。専門学校卒業後は、テレビや映画に使うカメラクレーンを操作する会社で3年ほど、働きました。その後、みなさんが興味のあるSMクラブの店長になります。

―    振れ幅が極端ですね。(笑)

    でも振り返れば、今の自分の仕事の原点は、SMクラブで培われたと思います。人のマネジメントの原点やビジネスの仕組みづくりやマニュアルの大切さは本当に勉強になりました。

    SMクラブを運営していく際に、最も大切なことは働いてくれる女性の方々です。それぞれさまざまな人生を抱えて、お金が必要だから働きに来ているわけです。働き始めて順調にお客さんがつけば問題ないのですが、なかには指名をもらいにくい人も出てくる場合もあります。でもこちら側としては継続して働いてくれないと店が成り立ちません。良いサービスを提供してくれないと、リピーターも増えません。なので、一緒にトランプをやりながら、オーナーが作成したマニュアルを使いながら「こういう風にした方が良いんじゃない」とアドバイスをしていました。その経験が今でも生きていて、小さい気配りなどができるようになったと思います。でも実はSMクラブで働き始めた頃は、すごく鈍感で、心に傷がつくくらい、けちょんけちょんに叱ってくれたおかげで、今があるなと思います。

― マニュアル作りや仕組みづくりもそのオーナーから学んだんですか?

    そうです。オーナーはすごく勉強家で実践をして見せてくれました。A3サイズの大きな画用紙をワンルームの壁いっぱいに貼って、電話応対のマニュアルを書いてくれたんですね。一字一句、マニュアルの通り案内すれば効率的に電話がとれるということを、実際に電話を取りながら見せてくれたんですね。目の前で見せてくれた経験は本当に大きかったですね。

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池袋時代⁉︎毎日通ったバー。今でもそのオーセンティックな空気に心洗われる。

初めて訪れたニューヨークに魅了され即移住。

― 若い時にそのような経験ができたのは大きかったんですね。その後、どのようにお仕事は変わっていったのでしょうか?

    当時は80年代後半で不動産バブルでした。SMクラブも、オーナーが不動産会社の運用資金に充てるために立ち上げたお店でした。なので、もちろんSMクラブの店長はしていましたが、あくまでもSMクラブは、不動産会社を運用する資金集めのビジネスだったので、「宅建を取れ」という指令が出たんですね。なので、SMクラブの店長をしながら学校に通い、資格を取りました。資格も取得したこともあって、店長を1年ほど務めた後、大阪に立ち上げた不動産会社に合流して営業の仕事をしていました。

    でも、不動産バブルがはじけ、会社には大量の借金が残り、このままでは会社が潰れてしまうという状況でした。当時、ぼくは名古屋支店にいたのですが、ちょうどNTTのダイヤルQ2というサービスが流行り始めていて、「少しでも資金があるうちに、商売を転換した方が良い」と判断しました。そこからああでもない、こうでもないと言いながら、ダイヤルQ2をいかしたテレクラのサービスを始めたんです。本格的にこのサービスに切り替えた後も、会社の業績は順調に伸びて94年頃まで続きました。

    ダイヤルQ2の商売は順調だったのですが、当時結婚していた妻と僕が原因で別居する事になりました。なんだかうつむいてる僕に後輩が、「ニューヨークに旅行に行きませんか?」って誘ってくれて。実際に行ってみると、街並みやジャズに感動して「ここに住もう」って決めてしまったんですよね。翌年には東京に妻と子供を残してニューヨークに引っ越しました。

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  NY最初のアパート前。第2のふるさと。

    「一年で帰ってくる」と伝えてニューヨークに引っ越したのですが、結局ニューヨークに住み着いてしまって離婚をしました。その後、今の妻と結婚をし、子供ができたので働かなくてはならなくなったので、経験のある不動産の仕事をすることになりました。その仕事を4年ほどやって、今の会社に合流する前に日本に戻ってきました。

―    今の会社ではどのようなことをされているのですか?
    今は、インターネットの広告関連の仕事、もしくは、インターネットのコンテンツサイトのコンサルの仕事がメインです。マッチング系のアプリ、弁護士事務所などの広告運用やプロモーションを担っています。メインはユーザー獲得ではあるのですが、大事なのは登録したユーザーがアクティブに活動しているかどうかなので、ユーザーがアクティブに使ってくれるためのアイディアを提案することもしています。また、広告やメディアを運営していると、承認作業も必要になるので、ほぼ24時間体制で細かい顧客対応にも対応できる体制を整えています。

― 24時間体制は他の会社もなかなか真似しづらいですね。世の中に広告会社はたくさんあると思うのですが、他にどのような差別化を図っていますか。
     小さな会社なので、動きの速さや、きめ細やかに分析、チェックをしています。また、納品して終わりではなく、成果が出るように細かいところまでタイムリーに改善していくことを大切にしています。

―ありがとうございます。会社の差別化からもう少し大きな視点で、南原さんの仕事に対する信条や信念を教えていただけないでしょうか。
     やはり「ユーザー目線」ですね。クライアントやエンドユーザー目線で徹底的に考えることは大切にしています。うちの会社の売上だけを追っていると、見透かされるので。「クライアント目線」、「ユーザー目線」で考え、行動していくことに尽きるかもしれないですね。

計算しない。だから面白い。

― さまざまなお仕事を経験されていますが、仕事を選ぶ基準はどのようなものでしょうか。

    正直なところ、「こういうことがやりたい」とか、「世の中のためにこういうものが作りたい」とか、そんなことは考えたことがなくて。「どうやったら生活できるだろう」とか、「どうやったらそこそこな収入を得て暮らしていけるだろう」という発想で、綱渡りの連続です。

    出会った人に影響されたのと、生活するための綱渡り。もうだからそれでこんなに時間が過ぎちゃったっていう感じです、正直。そうした感じでやってきて、まさかこんなふうにここに20年ほど今の会社にいて、社長をやっていて、何十人にも支えられているような環境になるなんて全然思っていなかったですね。

― 面白いですね。あまり未来を確定しすぎないとのことですが、もし、今後5年、10年の展望があれば教えてください。
 
    あと2年で60歳になるので、仕事で言えば、会社を繋いでいける人材を育てたいと思っています。やはりきちんと委譲して、つないでいかないと事業が広がらないので、65歳までに任せられる人を育てたいと思っています。    ただ単に株も渡さずに、「お前代表者やって」というのは、時代にフィットしてないかもしれないと感じていて。なので、引き継ぐ人がやる気が出るような仕組みも作っていければと思っています。今は、全くそういった体制が整ってないので、そういったことも含めた上で、会社を繋いでいくことは、自分の使命だと思っています。
 
    あとは元気で健康でいて、仕事だけでなく、トライアスロンでも現役でいたいと思っていますね。

Honda Lab.は優秀な人が集まっている

 
― 仕事以外のお話も聞かせて欲しいのですが、今年もトライアスロンは出場されるのでしょうか?
     先日は石垣島の大会に出場しました。10月にはポルトガルに行く予定です。さまざまな国に行って、レースして、観光して、旅行とセットで楽しむのが心地よいですね。アイアンマンも年に1回は出場したいと思っています。

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最も記憶に残るアイアンマン。フランクフルト。スタートして12時間後に偶然チームメイトと同時ゴール。ゲイカップルと思われてゴール後にテレビのインタビューを受ける。

― 私からすると、トライアスロンとかアイアンマンはものすごく苦しいイメージが・・・
     苦しいですよ。ぼくも初めてレースに出たあとは「もう絶対にやらない」と思いましたから。でもね、「結果が気に入らないからもうちょっと早く走れるようになりたい」といった欲が出てきたりするんですよね。それに、アイアンマンに出場するかどうかってどうやって決断しているか知っていますか?

― どういう時なんでしょう?
    だいたいお酒飲んでいる時の約束なんですよ。お酒飲んでいて、その場の勢いで申し込んだりして。そんなものです。

― でも皆さん、それでも絶対にやり遂げますよね?
     去年、バルセロナのアイアンマンに一緒に行ったんですよね。振り返れば、バルセロナに挑戦すると決めた時のチバタクとかは、まだまだトライアスロンやり始めたばかりで、「さすがにそれは無茶だよ」って正直思っていたんです。でも、自転車が故障した一名を除いて全員完走して、Honda Lab.メンバー、みんな優秀だなって驚きましたね。目標が決まったらなんとかして達成する能力や思いの強い人が集まっているんだなって思いました。

― 私も向上心が多い人が集まっているなと思います。
    ぼくは10年近く、社員と名古屋シティマラソン大会に出場しているんですね。1番初めに出場した時に、マラソン素人の妻も一緒に走っていて、ハーフマラソンで2時間を切るタイムだったんです。だから社員にも「みんなもっと若いんだからハーフで2時間切れるよね」と言ってはいるのですが、誰一人として2時間を切っていないんですよね。やっぱりHondaLab.メンバーとの違いを感じますね。能力的に大きな違いがあるというよりも、日々、自分で課題を発見して、小さな改善をしたりする積み重ねの違いだと思いますね。

― トライアスロンは会社経営でも生かされていると感じることはありますか?
     間違いなく生かされていますね。特にスケジューリングは通ずる部分があります。大会までにどんなトレーニングをする必要があって、そのための時間を確保するために、仕事の調整もしていかないといけないですからね。あとは、準備するものも多いので、仕事にも役に立っていますね。あとは少し話がずれますが、人との出会いは大きいです。トライアスロンをやっていなかったら、大きな会社の社長とフラットに話せないなって思います。

― ありがとうございます。最後にメンバーにメッセージがあればいただけないでしょうか。
    ぼくは本当に「出会い」や「触れ合い」に有り難いと思ってばかりいます。Naoさんと直接的に接する人もいれば、間接的に触れる人もいて。もう2年ほど経って、いろいろな感性が、さまざまなところに広がっていると思うんですけど、それがもっともっと広がっていくとさらに面白いなと思います。個人としては、本当に色々な人に出会えて、触れ合えて、ありがたいなと思っています。


    今回の「Honda Lab. SPOT LIGHT」では、多拠点生活をしながら経営者として活躍されている南原さんのストーリーをお伺いすることができました。南原さん、貴重なお時間をありがとうございました!

今後もHonda Lab.メンバーへのインタビューを実施していきます。お楽しみに!

interview @みぃ @Kei
Text by @Yasuto