第20弾は、京橋白木株式会社を経営する竹下茂雄(@しげ )さんにお話をお伺いしました。

    若くして創業明治29年の老舗企業を引き継ぎ、時代の変化をどのように乗り越えてきたのか。多事業展開、多様なチャレンジを続ける中で感じた今までとこれからの時代とは。

京橋白木株式会社 代表 竹下茂雄さん

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家業の倒産寸前の状態から16年連続増収を果たす。会社経営、サーフィン、子育てを中心にしたライフスタイルを実践。2022年初ironman Barcelona 2023Wine expert/鮨アカデミー卒

いがみあいや争いのない「柔らかい世界をつくる」

―ラボには初めての方も、最近加入された方もいるので、今のお仕事からおうかがいしてもいいでしょうか。
   
    創業明治29年になる会社の4代目をしています。一言でいうとレストランビジネスを支える仕事です。



   
Labではうつわ屋ですが、売上構成の90%はいわゆるBtoB向けの卸事業なんです。飲食店が拡大していく時に、必要な備品や資材ってめちゃくちゃ多品種で、複数の業者にそれぞれ注文して、、って手間がすごいんです。

そこを僕らが本部の代わりに、受発注の手間の削減とスケールメリットを活かしたコストダウンを図りつつデリバリーして多店舗展開を支援しています。

お取引先はカラオケチェーン、居酒屋、ミシュラン店など上場企業から個人事業主まで多岐に渡りますが、ありがたいことに一度お取引が始まると長いおつきあいになる事がほとんどで、40年、50年と続くお客様も多くいらっしゃいます。



あとBtoCである小売店、うつわ御結が「南青山」と「高松」にあります。


うつわ「御結」青山店


「御結Hanare」金継ぎ教室


あとは、個人で頑張ってる若手に出資して応援したりしてます。

―竹下さんは「飲食」に関わる事業やサービスを展開されていますが、どのような想いで「飲食」に携わっているのでしょうか?

    飲食の仕事、飲食を支える仕事を通じて「柔らかい世界」になったら良いよねという想いでこの仕事を続けています。飲食業は、嬉しいことをみんなで祝ったり、辛いことや悲しいことを共有したり、人生の悩みを相談する場に携わっていると思うんです。色々なことがあるけれど、「乾杯」って言いながら、いろんな人たちがコミュニケーションをして、いがみ合いや争いがなくなる世界、柔らかい世界になったらいいよねという想いが根底にあります。「そういう世界観を作るために自分たちの商売が役に立ったらいい」と思っています。

―そんな竹下さんが家業を引き継がれたのは、どのようなタイミングだったのでしょうか。

    柔道漬けだった大学を卒業し、柔道の指導教員になりたくて準公務員という立場で高校の教員をやっていました。しかし1年経った頃に先代である父の体調が急激に悪化し、24歳で家業に戻りました。

後から帳簿を見て愕然としたのですが、当時、社長である父が現場に立てない日が続いていたので、売上は9年連続減少が止まらずかなり危ない状態で、返せる見込みのない借金も1億ほどありました。スーツを着て飛び込み営業に出ては、合間に配達、事務、出荷とテコ入れに奔走する日々でした。ほぼ全ての仕事を一から立て直す必要がありました。

「失敗しちゃいけない」「社員の手前、自分が休むわけにはいかない」と、休む事への恐怖と罪悪感がありました。初めて3日以上の休みが取れたのは父が亡くなった年なので、僕が29歳のときでした。
   
あの頃はとにかくがむしゃらだったので、記憶があまりないんですよね(笑)

―それほど、もう目の前が慌ただしく過ぎていったんですね。竹下さんといえばサーフィンをされているイメージもあるのですが、サーフィンはいつ頃から始めたのでしょうか?


(カリフォルニアトラッセルズ)

   
20年前位だったと思います、サーフィンと出会ったことで僕の人生はガラッと変わりました。会社を継いだときは、余裕がなさすぎて、仕事以外を考える余白がない人間でした。

その時に「サーフィンやろうよ」って声をかけてくれた同業で兄貴分の先輩がいて、それからは海外出張にもサーフボードを抱えてよく一緒に行くようになりました。

兄弟のような、親友のような、でもライバルでもある。共に事業を手掛けたり、大きな商談を一緒に決めたりと公私共に大きな影響を受けていました。

でも数年前、サーフィン中の事故で亡くなってしまいました。

彼がずっと器の事業をしていたこともあり勝手に遺志を受け継ぎたくて、今、うつわ屋をやっているという部分が自分の根底にあります。


(ニューヨークのEN Japanese Brasseri)




行き過ぎた事業展開に崩壊危機。「量」から「質」への転換

ー今の竹下さんはビジネスだけでなく、サーフィンをはじめとして、ライフスタイルも重視されていると思うのですが、何かキッカケはあったのですか?


(シンガポールでの飲食事業)

    家業が成長軌道に乗った後も、焦燥感に駆られて本業以外に飲食事業や輸出事業に進出、シンガポールにも会社を立ち上げました。

確かに売上は拡大しましたが、明確なビジョンなき事業展開で社員の気持ちがバラバラになってしまったんですね。

拡大はしたのに、思っていた世界と違う…自分の中での違和感が拭いきれなくなった頃に「原点に戻ろう」と国内の飲食や、輸出の事業はお世話になった仲間たちに引き取ってもらいました。

拡大至上レースから降りる事を、周囲の経営者達からどう見られるのだろうと不安に思うこともあったのですが、実際に実行してみると、なんてことなかったんだと気付かされました。

結果的に、譲渡後ほどなくしてコロナが猛威を振るったので、あの時に量より質へと原点回帰できていた事はラッキーでした。
   
―ご自身の価値観に合っていたんですね。そこから金継ぎなどの新しい取り組みをされたとのことですが、以前は「数字」を軸に事業を展開されていたと思うのですが、金継ぎなどはどういった軸で事業をされているのでしょうか?



    実はコロナ禍でBtoB事業は前年対比75%減になった月もあるほど深刻なダメージを受けました。

そんな中でBusiness Labのナオさんとの面談時に相談を重ね、当初想定してたエリアでなく、南青山の骨董通りに初めてのBtoC業態である「うつわ御結」を出店することになりました。

金継ぎについても、小売店に次ぐ、新サービスをいくつかナオさんにプレゼンしていた中で、これいいね!って反応してもらえた事が、注力するきっかけとなりました。

コロナ以降、より価値観の変化が大きくなったように感じます。

クラフトビールをはじめ作家の器や、個性のある商店や伝統工芸など、大量生産、大量消費とは真逆を行く、顔の見えるスモールビジネスが見直されはじめているように思います。



    コロナが明けて海外から見られたときに、「日本の工芸や伝統文化はクール」という評価を世界から受けていて、ビックリしましたね。必死に取り組んでいたら、いつの間にか世界で戦える武器になってたので、それは面白いですよね。

―そこは計算してできる部分と流れに乗る部分がありますよね。竹下さんの仕事の哲学はどのようなものなのでしょうか?

    先代から言われた中で大事にしている言葉は「損して徳取れ」です。

一時的に損したり、自分に不利だなと思う事があっても乗り越えていけばいつか信用がつく、その信用が後々大きなリターンへとつながるっていう意味だと解釈してます。

例え、返ってくるのが僕の代ではなくてもいい。実際に僕自身も先代の父に対して恩義がある方達に沢山助けられてきたので。

―ありがとうございます。今後、竹下さんがチャレンジしていきたいと考えていることは何かありますか?

    今持っているコンテンツで世界で戦いたいです。

日本の飲食店は本当に世界最高峰にあると思っていて、それを支える器や料理道具も同じ位すごい。日本の飲食企業が海外へ展開する支援をしたいし、逆に世界中のトップレストランに日本の器を提供したい。

また各国の主要都市で金継ぎワークショップや器のポップアップツアーをやっていきたいです。その国のお客さんに僕が寿司を振る舞いながら。笑

―たしかに。「鮨」「ワイン」のスキルや資格も取得されていて、それが仕事にも生かされていると思うのですが、仕事と趣味の垣根がないのでしょうか?

以前は絶対に一緒にしてはいけないと思っていましたが、そうですね、今はないですね。

「想いを力に」できる環境ならやってみればいい

ーサーフィンだけでなく、ラボに入ってからトライアスロンも始めたと思うのですが、それはどのような理由から始めたのでしょうか?

    トライアスロンは、苦手の塊だったからこそチャレンジしました。本音は、泳ぎたくないし、走りたくないです。小さい会社でも経営者って、苦手なことを人にお願いをして代わりにやってもらうことが出来る。

だから、他の人にお願いすることができない究極の環境に自分を追い込めた体験は貴重でした。

Labの仲間がいなければアイアンマンレースは絶対に完走することはできなかったと思うので、「環境」の大切さは改めて実感しました。





―その後、世界一過酷ともいわれるアイアンマンにも出場、その他、ワインエキスパートや鮨アカデミーなど、新しいことにどんどん挑戦をされていかれましたが、その挑戦の源になるパワーはどこから来ているのでしょうか。
   
    身近な人を早くに亡くしているので言えますが、残念ながら人の最期は突然来る。もし自分が挑戦できる環境にいるのであれば、挑戦した方が後悔しない人生を送れる。なので、僕もトライアスロンや、寿司を握ることにものすごく興味があるとかではないんです。ただ、縁があって、一緒にやれる仲間がいる贅沢な環境があるんだったら、「とりあえず、やってみたら?」と思っています。やってみたら実は楽しいよって。

―新しいことに挑戦するときの、選択の基準はありますか?
    トライアスロンは毛色が違いますが、誰かのためになったり、誰かに喜んでもらえることをしたいなとは思っています。トライアスロンも自分が挑戦することで、周りが勇気づけられる可能性もあります。ワインもグループでどこかに行ったときに良い提案ができたら喜ばれますよね。「鮨」に至っては、目の前の人に自分で作って渡せるので良いですよね。話は少し脱線しますが、東京鮨アカデミーに通った2ヶ月も、それぞれが、忙しいなかでも時間を捻出して、大学生の時みたいに毎日顔合わせて、「今日のランチ何にする?」とか、そんな会話をあの豪華なメンバーでできたのはめちゃくちゃ面白かったですね。でも、寿司をマスターして1番良かったのは、コミュニケーションの会話の幅が増えたことですね。

自分らしく生きることが社会貢献

―ホンダラボに加入して、さまざまな変化があったと思うのですが、ビジネス、価値観など、どういった点に変化がありましたか?

    先ほど話した「量から質へ」の流れが、「企業から個人」への回帰につながると僕は思っています。すでに世界観や時代の価値観は、ものすごく変わっていると何となく感じていたのですが、Lab.に入ってより明確になりました。「年商50億の代表やっています」というよりも、たとえば「鮨を握れます」といった具合に、コンテンツを持っている人のほうが面白いと思われる時代になったなと感じています。もちろん、大きい会社を経営していることも立派だと思うのですが、今は「立派な人」になりたい人があまりいないように思います。Honda Lab.にいると、時代の変化はものすごく感じますね。言葉にしづらいですが、面白い人がちゃんと稼げるようになってくる社会になるような気がしています。

    また「社会貢献」も、あまり大きなことじゃなくても全然いいと思うんです。それぞれの人が自分らしくちゃんと生きていれば、それが社会貢献だと思うんですよね。

―最後に、ラボメンバーへのメッセージはありますでしょうか?
   
    寿司を食べに来て欲しいですね。

―寿司を食べるときに、作り手として「ここ注目!」というポイントがあれば、食べる側の楽しみも増えると思ったのですが、何かありますか?

    とにかく、ひと言目に「おいしい」って言ってくれたら嬉しいです。

ー最後に、これからHonda Lab.に入れる方へのメッセージはありますでしょうか?
   
     ラボに入る入らないも含めて、とにかくやってみないとわからないと思うので、やってみれば良いと思います。

何か企てていることがあるのならばHonda Lab.はその挑戦を称賛、応援してくれる場所です。何かきっかけを求めてる人がいたら、充分に応えてくれる場所になるんじゃないかなと思います。


    今回の「Honda Lab. SPOT LIGHT」では、明治29年から続く企業を継承するだけでなく、日本の伝統文化を海外に発信する竹下茂雄さんのお仕事に対する価値観からライフスタイル、今後の時代の変化まで、様々なお話を伺うことができました。@しげ さん、貴重なお話をありがとうございました!

今後もHonda Lab.メンバーへのインタビューを実施していきます。お楽しみに!

interview @みぃ  @しゅーへー  @Kei
Text by   @Yasuto