第十八弾は、福岡で株式会社クロマニヨン(CROMAGNON&Co.)の代表をされている小柳俊郎(@トシロー )さんにお話をお伺いしました。「ブランディング」を軸に50代を迎えて独立された俊郎さんの想い、そして今後の展望とは?

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株式会社クロマニヨン(CROMAGNON&Co.)代表。福岡市で企業、事業、自治体、商品やサービスのブランドをブランド化するブランディングコンサルの会社を経営。アミューズメントパークの運営会社・外資系広告会社を経て、2020年に独立。Freepaper&Web「SAPIENS」 編集長。事業構想大学院大学「ブランド戦略」特任教授。
Honda Lab. モデレーター


コロナのど真ん中に独立!最初の仕事は、人とのつながりを通じてスタート

―まずは、現在のお仕事についてお伺いさせてください。

    社名は、株式会社クロマニヨンです。商標は、CROMAGNON&Co.でとってます。福岡市の中央区の薬院っていうところに拠点を置いていて、企業、事業、自治体、あと、商品やサービスのブランドをブランド化するお手伝いをするブランディングファームというか、ブランディングコンサルの会社をやっています。
    2020年5月に起業してまだ4年目なんですが、お陰様で今現在進行中含め、50社以上を社員3名でやっています。企業や商品、サービスのブランディングを並走しているいうのが今の仕事になります。

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―お仕事の規模と幅がHPに掲載されているだけでも、ホテルから食から、信号機ととても広く感じました。そういったお仕事は、どのように拡大されているのでしょうか。

    そうですね。うち、営業とかはいないし、営業して取れるようなものでもないと思うんですね。ちょうど2020年の5月に起業した頃って、福岡の緊急事態宣言の1回目が終わったばっかりっていう、コロナのど真ん中だったんです。けれど、やっぱりそのときが社長・経営者の方々が1番迷いの時代に入るときでした。
    いろんなことに悩んでいらっしゃるなかで、この会社はどういう価値観で進むかっていうのをちゃんと決めていかないといけない、というところから相談いただいたり、昔の広告代理店時代に俺がセミナーをしたのを聞いてくれていた銀行の方に来ていただいたり、そういうのが重なって最初の仕事が始まりました。そのときの繋がりはずっと続いていて、いろんな要素で今のところずっと依頼をいただいています。

―独立にあたり「ブランディング」を選ばれた理由は何だったのでしょうか。

    ブランディングするのが好き。もっというと「ブランド」という概念が好きっていうのが昔からありました。ブランドのことを話す時に機能価値と情緒価値っていう言葉がよく出てくると思うんですけど、まさに自分は昔から「機能はともかく、俺はこれがいいんだよね!」みたいな選び方ばっかりで生きてきた人間なんです。

    例えば、20代の頃、携帯(当時ガラケー)がいっぱい出てきて、街中には携帯0円っていう看板がいっぱいあって、キャリアを契約するための添え物でしかない電話機みたいな時代があったんですよ。そのときに、amadana(アマダナ)という会社が5,000台限定、シリアルナンバー付6万3,000円っていうのを売り出したんです。ガラケーがタダなのに、6万3,000円ってバカじゃねえかっていう雰囲気あったんですけど、給料安いのに、機能なんか0円のやつと全然変わらないのに「俺は全力をあげてこれを買うぜ!」みたいな(笑)。
結局、この電話は48時間で5,000台が売り切れたんですよ。その結果見て、これからの市場のあり方みたいなものを強く感じたのを覚えています。

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生まれ年の1969年にちなみ、1969年が欲しくて全力で手に入れた1台。

    他にも、まだ小っちゃい子供が2人いたときに、ミニバンとか買えばいいのに、無理してアルファロメオ買って、家族で車で旅行してる途中でもちろん電気系統のトラブルで「停まる」みたいな。けど、停まったことを武勇伝としてみんなに話してる俺って最高!みたいなわけわかんない満足感とかあるヤツでした。
    けど、俺の人生をずっと振り返ると、そういう機能価値より情緒価値で生きてきてるので、その源泉って何なんだろうって考えるのが好きだったっていうのが自分の中でずっと物語としてあります。その本質を考えるのが大好きだったので、ブランドを専門にしたっていうのが理由の1つです。
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    現実的な話をすると、広告会社に18年いたんですが、広告会社って予算あるし、もっと言うとノルマみたいなのがあるじゃないですか。僕もメディア局だったけど、最後は営業をやってた。予算達成するのは当たり前だし、それが会社でできるやつになる条件だったし、世の中も、猛烈に数字を上げていくのがかっこいいぜっていう時代だったんで、俺も疑いもしませんでした。
    コンペになると、そのクライアントがどうやったらいい結果を生むかのためのアイデア出しのはずが、いつの間にか、他社がどんな風に出してくるのかとか、スパイ戦みたいになってたりとかで、もうクライアントファーストじゃなくて、自分たちのビクトリーファーストになっているわけです。それを猛烈にやってきて、全能感を感じるぐらい勝ったぜとかいうのをやってきたときにふとあ~もっと本質やりてえ~っていうのをずっと、40代の後半ぐらいから思ってたっていうのがありました。その2つがブランディングをやろうっていうふうになった理由かなと思います。

50歳を迎えて感じたのは、まさかの「ごまかしおじさん」という絶望感?!

―50代をむかえて、会社員は違うかなと思ったキッカケはなんだったのでしょうか。

    いかに面白いことをやるか、街にインパクトを与えるか、コンペに勝つか、その業界であいつらが勝ったらしいって言われるために頑張る、そういうのが面白くてしょうがなかった会社員として、広告代理店の18年間にも全く悔いはなくて、もう超面白かったです。

    20歳になったときは、バブル真っ只中で世の中も浮かれてたし、俺もやっと大人来たっていう思いがあったし、30歳になったときは、ノストラダムスの大予言で地球滅亡だとかいう話とかもあったりするぐらいの変な時代だったんだけど、1,000年に一度の2,000年代に変わる大きなイベントがあるときに遊園地で働いてて、企画するのが楽しくてしょうがなかった。なので、ウワッ、俺、超おもしれえと思って、覚醒して高揚してました。
    40歳のときは、東日本大震災前の浮かれた時期で、世の中不景気だけど、価値観的には浮かれていた感じがありました。40歳になって、俺、全能感があったんです。もうオヤジ最高だと。20歳、30歳、40歳になったときって、それぞれに自分のなかでまだイケるなと思ってました。50歳になったときには、もっと成熟していくドキドキ感とかあると思ってたんだけど、実際は全然ならなかった。今までと全然違いました。

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全能感があった40代。某高級ブランド福岡店のオープニングを担当した時の写真。
ボタンが3つくらい開いて、高い襟を立てていて、、当時会ったら引くかも。。 と   笑     
     

    50歳になったときに、あ~これ俺もう自分の人生にごまかしながら生きてるんじゃねえかって、もうすごいそれを感じたんです。会社の中にいて、自分が譲れない価値観は会社だししょうがない。現実ほとんどの人がそれは仕方ないって思ってやってるんだろうけど、そのうち60歳とかの定年まで広告代理店にずっといることが、楽しみじゃねえなって自分でわかってるくせに、動こうとしていない。ごまかしながら、楽しいふりをしてる。
    この状況を「ごまかしおじさん」って、確かブログに書いたんだけど、ごまかしおじさんになってんじゃんっていう絶望感が50歳になったときに訪れて、そのときに真っ向からちゃんとごまかさないで生きる方法ってなんだっていうふうに考えたという感じです。

■【note】小柳 俊郎    ToshiroKoyanagi        *起業ストーリ-が記されています!



ー俊郎さんが大事にされている価値観は何ですか。

    仕事においても、生き方においてもかもしれないけど、やっぱり本質をちゃんと向き合ってやるのが一番気持ちいいと思っています。うちのクロマニヨン社のアイデンティティーが3つあるんですけど、その中の1つに「魂で向き合う」って書いています。
    魂で向き合ってると、金使わせるための提案とかをすることもできないし、する必要ねえかって思える。逆に言うと、そういう言葉は届くのでそういう本質的なところをちゃんとやる、本質に向き合って、本質を手懸けるっていうことをずっとやりたいなと思っています。
    企業理念を「全ての人々に、意味ある社会を。」にしているんですが、この会社で働いている意味がないっていうのが、たぶん世の中の人たちが、今会社を辞める1番の理由なのかなと思っています。なんで俺こんなことやってるんだっけ、意味ねえやんっていうふうに思う若い人たちがたくさんいる。だから、社会に意味があるとか、このコミュニティ、街に意味があるとことをやっぱり経営者は感じさせてあげなきゃいけないし、それをちゃんと言語化しなきゃいけないと思っています。それは、ブランディングにおいて、最優先事項としていつもお話ししています。

―ブランドの根本になる本質を作る、見抜く際に大事にされていることはありますか。

    対話による言語化だと思っています。これはブランディングという商品を扱っていた代理店時代も含めて、ずっと思っています。
    先日、「&SAKE FUKUOKA」のイベントがありました。ずっとコロナで開催されていなかったんです。今年4年ぶりにでかい会場でやるということになって、総合プロデュースで1から全部作り直してくれっていう話を受けて、迷ったんだけどやりました。

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    イベント自体は、9月30日にやったんですが、3月5日に一番最初の会議があって、俺もプロデューサーとしてその会議に出たときに、議長さんが用意してたのは、項目的に、どの飲食店を呼ぶか、どんなアトラクションが受けるか?会場のセットをするか?とかだったんですけど「すみません。僕に仕切らせてください。」と言いました。その時にやったのは、もう誰を呼ぶとかの前に、このイベントは何のためにやるんですかっていうのを2時間2回やったんです。

    客がいっぱい入ればいいんですか、儲かればいいんですかと。違いますよね、福岡の酒造全部を束ねるトップ団体の福岡県酒造組合がやるときに、そこで100万、500万、1,000万儲かったっていうのが、それが価値なんですかっていう話をしました。2時間2回の4時間ぐらい会議をやると、結局、お酒造ってる意味っていうのは、その酒でみんなが仲良くなったり、お酒でこんな世界があるんだっていう「出会い」っていう言葉がたくさん出てきて、そのためには、圧倒的かつ最上質な空間、そこら中で若者がこういうイベントやってるといってくれるような空間が大切だという話になりました。
   
    このイベントの開催意義は「福岡のお酒を通して、人生の出会いの素晴らしさを感じてもらうこと」になったんです。そのためには他の酒イベントでは考えられないような「圧倒的空間で最上質な空間」が必要だということになった。
    ここを決めたらもう、みんな迷いがなくなって、アイディアの方向性がグッと絞られてくる。ブレなくなるんです。たとえば、最上級の空間だから、王道感と不変が伝わるよう、ロゴマークも普通のフォントをきっちり書くっていうのに今年から変えさせてもらったりとか、上質だから予約の取れない店ばっかりお声がけしました。本質的価値を言語化すると、それがブランドの核になる。だから、そこをちゃんとやりましょうっていうのを実践しました。それは、今回俺が1番褒められたところでもあって、何のためにやるんですか?それでいいんですか?みたいなのを俺がずっと聞くから、あの会議が一番辛かったけど一番よかったって、みんなに言っていただきました。やっぱり、そこで本質が出てくるんです。
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2023年に刷新されたロゴデザイン

ブランディングの力は無限大!企業、イベント、そして個人でも

―楽しいとか、ワクワクとか、エンターテインメント性が俊郎さんご自身のお仕事のやり方、言葉の選び方にも現れているように感じます。
   
    ごまかしおじさん、やめたから(笑)。ごまかしおじさんはやめたんで、楽しい人、楽しいこと、自分が楽しいと思ったことを同時に伝えて、これを楽しいと思ってくれる人のためにやってると、たぶん自分と似たような価値観の人が来るじゃないですか。

    それでいいなと思ったのも今回の「&SAKE  FUKUOKA」でした。「&SAKE  FUKUOKA」は、テレビもラジオも含めて、一切CMしていないんです。なのに、30店舗の飲食店と40蔵の酒蔵と我々のSNSとか口コミだけで1万3,000人集まりました。っていうことはどういうことかっていうと、いい店はいい客を持っていて、いいお客さんの友達もみんないい。我々の酒蔵も然り、その価値観がいいなって思う人ばっかり来てるから、2日間あんだけ酒売りまくっても、医務室に来た人1人しかいなくて、しかも、酔っ払ったとかじゃなくて、滑って転んだだけの人だけ。あれを欲張ってテレビCMして誰でも来いって言ったら、もうなにかを割って喜ぶみたいな人たちが来たかもしれない。そういう人が全く来ないっていうのでも1万人集められるんだったら、その世界でのコミュニティーの価値観が同じ人たちを集めるのが一番完成度が高くなるなと思っています。なので、1番の功労者は、結局参加していただいた、飲食店の方々と酒蔵の皆さんってことですね^^

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    今回企業ブランディングでやってることが、この「&SAKE  FUKUOKA」のイベントのブランディングにも使えるということは、これ絶対個人にも使えると思っています。本当後悔してるのは、子供が生まれて、子供が3、4歳になったときに、小柳家の理念とかパーパスをちゃんと設定してやればよかったと思っています。その都度、お父さんとお母さんがダメだなって思うことは言いますよね。でも、最初からこれは絶対うちの一番いいことだとか、自分が食うもんなくても他人を助けろっていうのをもし言い続けてたら、たぶんそれ大人になったら、そんな人間になると思うんです。やっぱり、言語化です(笑)

―もし一個人として俊郎さんご自身のブランディングを表現するとしたら、どんな言葉を選ばれますか。

    俺は、なんだろう、伝えること、「伝えること」です。自分の価値観の中で、こういう人たちにこういうことを伝えたら絶対いいよなっていうのがいっぱい巻き起こってくるのを伝えることが自分の人生の役割だと思っています。
    ブランディングの仕事もそう、せっかくいいことやっているのに、なんでこういうやり方なのかというのを、ちゃんとお仕事としてご提案して、分かってもらって、そうですよねっとなっていくのは自分の喜びでもあるし、その社長も絶対そうした方が気持ちいいと思っています。パーソナルパーパス研修でもやったりするんだけど、自分の価値観を研ぎすませていって、何をやりたいかだと思います。
   
    俺、小学校3年のときに、誰にも頼まれてないのに、クラスの壁新聞とか作ってたんですよ。この間、実家で物をバンバン捨ててたら出てきて、うなぎ屋の増田くんは、いつも鰻丼のいい匂いがする・・とか、そういう壁新聞。モラハラもいいとこなんだけど、めっちゃウケてて、そういうのが好きなんです。だから「BOND-ボンド-」も出したりとかしてたんだと思います。今やっている、「SAPIENS TALK(サピエンストーク)」もそうだし、自分が頼まれたら、ブランド論みたいなのは言ってもいいけど、どっちかというと俺が喋るっていうより、俺がゲストを呼んでその人と話して、こいつおもしれ~だろっていう番組をやりたいっていう、そっちのパターンだと思います。
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2011年に創刊した「BOND」というフリーペーパーで創刊号表紙をきっかけにナオさんとの交流もスタート。
画像は、ナオさん初参加の福岡「THE VOICE OF BOND」のイベントでトークした時のもの。

目指すは、九州一無視できないブランディングファーム!

―お仕事の面で今後されたいことはありますか。

    まずね、九州で最もクールなブランディングファームになりたいんですよ。でかいとかじゃなくて、イケてるじゃちょっと言葉軽いんだけど、ブランドのことをいじろうと思ったら、とりあえずクロマニヨンは候補に上るっていうっていう、無視できないブランディングファームになりたいっていうのが1個あります。
    全ての人々に意味ある社会を実現しないといけないというのがあって、じゃあ、それを、実現するためにどうしたらいいかっていうのはリーダーや経営者、家庭では、お母さんが長なのか、お父さんが長なのかわからないけど、ちゃんとリーダーが言語化できることまで考えないといけない。
    言語化って考えないとできないから、よく考えると、俺何も考えてなかったって社長さんもいるんですよ。今月売上行ってるのか行ってないのか、それを聞くことが、俺は社長の役割だっていうふうに思ったけど、それじゃみんなワクワクしないよねっていうのに気づくっていうことをちゃんとやっていきたいと思っています。
   
    もう1個は、全く商売じゃないところでサピエンスをやってるわけですが、サピエンスなんかやればやるほど赤字なんですね。ギャラはほとんどなしでみなさんにも来てもらっています。あれは僕の個人的なライフワークの「人に伝える」っていうやつを続けていくためのプラットフォームなんですけど、サピエンスを福岡にあるメディアコミュニティーみたいな感じにできないかなっていうのは目標としてあります。
    サピエンストークに来る人たちって、だんだん、300人ぐらいがずっと回ってきています。20パーセントぐらいは、初めて来ましたっていう人がいるんだけど、ほとんどがリピーターなんです。その300人が集える場所を将来作るのか、その価値観で動いていくようなメディアコミュニティーみたいなのを作るっていうのが目標です。

■SAPIENS    TALK

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ガラケー時代「amadanaケータイ」を開発された熊本浩志さんもゲストに!

    あと、ちょっとだけ宣伝していいですか?来年、「クロマニヨン・ブランドラボ」っていう名前で学校をやろうと思っています。会社でブランディングとかすると1年間並走するから500万とか規模によっては1000万円とかかかります。けれど、それをやる前の段階で、社長さんとかリーダーが、今俺がこうやって喋ってるようなことを、ブランドって何?から、ブランディングを自分でできるんじゃないかっていうレベルまで行く学校をやろうと思っています。
    1期で5-10人以内、月に2回とか、2、3時間ぐらいの授業を俺らがやって、多分、参加型の授業になるんですけど、さっきみたいに、最優先は言語化だみたいなことをやる予定です。例えば、みんな普通にブランドっていうと、ルイ・ヴィトンとかエルメスを想像すると思うんですが、そうじゃない部分でも日常でブランドの力を使っていろんな生活をしてるのにあまり意識してないので、一から全部、ブランディングってヤベえじゃんっていうところまで行く学校をしようと思っています。またこちらでも案内させてくださいって、いいですか(笑)。Honda Lab.の方は特別価格でご案内します(言うてもうた!)。

―プライベートで、取り組んでいかれたいことはありますか?

    今54なんですけど、54になっても気持ちはちっとも変わってないんだけど、変わってくるのは身体なので、トレーニングをずっとどこまで続けられるか、身体を動かし続けなきゃダメだなっていうのはあります。首のヘルニアが悪化していて、自転車に乗れなくなって、トライアスロンができないときに、折れそうになったんだけど、走ること、プールで泳ぐぐらいはできるなとか、身体を動かすのは絶対やっておかないかんなっていうのはありますね。
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    あと、Honda Lab.に入って変化したことにもなるんですけど、やっぱり、もっと日本を見なきゃと思って、今一生懸命誘われたら行くようにしています。世界中とか言い出すと、行けるときに行くで行くしかないんだけど、日本ってもう円高とか円安とかも関係ないし、行こうと思えばだいたいのところ1泊2泊で全部行ける。なのに、なんでこんなに見てないんだ、日本の国!って改めて思っています。
   
    伝統芸能が日本の良さだとか、そんな綺麗事じゃなくて、日本のあらゆるところに人は住んでいて、そこにやっぱり面白いやつがHonda Lab.にはいる。例えば、Honda Lab.に入っていなかったら、金沢に行っても、食べログを頼りに行くか、ガイドブックや誰かの体験談を元に動くしかなかったりするし、情報があっても、自分じゃ予約取れない場所もナオさん経由でとか、Lab.のやつが金沢にいるな、ちょっとあいつに頼もうかなとかになったり、それってすごいことなんだよって。
    特に普通の会社員だったりすると、ないんだもん、そういうの。だから、日本をいっぱい見るっていうのをしたいなと思うし、やっぱり、それを伝えるのも楽しみなのかなと思います。多分、自分の肥やしになるよね。もっと早くから見ておけばよかったなって思うことが絶対あります。

―今一番行きたい場所はあるのでしょうか。

    パワースポット好きだから、熊野古道とかね。古い、でかい、が大好きだから。木もでかいの、石がでかい、寺がでかい、神社がでかい。全部揃う和歌山に行きたいです。あとね、伊勢神宮に行ったことがないので行きたい。伊勢神宮だけはちゃんとお参りしたいとかいろいろ言ってる間に54歳になっちゃって、どんどんチャンスを失っているので、まわり方をアテンドしてくれる人募集中です。

Lab.を通じて、つながりの大切さとともに福岡の魅力を再発見

―他にHonda Lab.に入られて変わられたことはありますか。

    いろんなヤツがいてくれるんで、ネットワークが1番です。ナオさんの1個下だから、Lab.の中でもうだいぶ先輩というか、たぶん最高齢とかなのかな。ここからネットワークを活かして劇的な世界ビジネスをっていうチャレンジもしろって言われたらしないといけないのかもしれないけど、そこよりも人間的なつながりで、福岡の人として、役に立つヤツだっていうふうには思われてたいっていうのが1個あります。貢献したいです^^。

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Honda Lab.「福岡会」。九州メンバーと共に。この日は東京からのメンバーも参加。

    その中で、Honda Lab.に加入して変わったことは、今住んでるこの福岡っていう場所をもっとちゃんと知っておかないといかんなと思うようになりました。Lab.の人たちが福岡に来るってなったときとかに、食べに連れていくだけじゃなくて、何かを伝えられたらと思っています。
    まさにLab.を通じて自分の住んでるところも捨てたもんじゃねえじゃんって思うようにもなりました。ナオさんが、最初福岡に来たときに、ハワイに似てるとか言ってて。ナオさん何言ってるんだって思ったんだけど(笑)、何回も来るようになって、福岡絶対にいいんだって言ってる意味がだんだん分かっていきました。だから、それぞれ、自分の住んでるとこだったり、故郷のことだったりとか、そこをしっかり認識するのは超大切だなって思ってます。

―最後に、Lab.の方へのメッセージをお願いします。

    僕みたいにごまかしおじさんになるのが、気づくのが遅いよりも早い方がいいんで。けど、結論、その人その人のいろんなタイミングがあると思うので、別に何歳が最高です!というつもりもありません。そのタイミングをどこだと感じるか?ですよね。

   Lab.のテーマでもある「人生は壮大な実験だ」、やったもん勝ちだと、本当に51歳で起業して思いました。マジでこんな環境ないわけですよ。1人で悶々と独立を考えている人、Lab.の中で僕はこんなことしたいと思ってるんですけど、どう思います?いいね、いや、それダメなんじゃない。っていうやりとりをして、そこでそれでもやるのかどうかを考えることもできる。ファイナンスの部分、ブランディング、マーケティングのプロとか、サプライチェーンをいっぱい持ってる人もいるし、本田直之もいるし(笑)、チャレンジしない手はないでしょみたいなところもあるし。ま、チャレンジャーが多すぎて焦ったりするかもですが、それも刺激です!
    だから、今から入ってくる人には、そういう環境がここにはあるから、思ってるよりすげえよっていうのを伝えたいです。



今回の「Honda Lab. SPOT LIGHT」では、50代を迎えて「ブランディング」を軸に独立され、Honda Lab.のモデレーターでもある小柳俊郎さんにお話をお伺いしました。@トシロー さん、貴重なお話をありがとうございました!

今後もHonda Lab.メンバーへのインタビューを実施していきます。お楽しみに!

interview・ Text by  @みぃ