第17弾は、諏訪で世界トップシェアの精密ばねメーカーを経営しながら、諏訪トライアスロンをはじめ、地元貢献にも尽力している小島拓也(@Taku)さんにお話をお伺いしました。
入社まもなくして産業構造の変化に飲まれ、売上の7割がゼロになったところからいかにして、世界トップシェアにまで上り詰めたのか。時代の変化が読めない時代でも生き残っていくための思考とは?
株式会社ミクロ発條 代表取締役 小島拓也さん
『株式会社ミクロ発條』代表取締役。長野県諏訪市で70年近い歴史を持つ精密ばね加工会社を経営。諏訪に本社を構え、マレーシア、中国嘉興、中国大連に拠点を持ち、ボールペンのばね市場で国内の8割、世界の5割など世界トップシェアを誇る。また、諏訪への貢献のために「スワコエイトピークスミドルトライアスロン大会」を開催。2024年6月23日に第2回大会を開催予定。
売上7割消滅の危機から世界トップシェアへ。変化の波を超えていく経営哲学とは
―ラボには最近加入された方もいるので、今のお仕事からおうかがいしてもいいでしょうか。
「株式会社ミクロ発條」の社長をやっています。創業が1954年なので、来年で70周年を迎える会社で、祖父から始まって私で4代目です。ミクロ発條は、小さなばねという意味です。その名の通り、小さなばねを作っている精密ばねメーカーです。大きくわけて、電子機器、半導体、文具のばねを作っています。
電子機器というのは、タッチペン、デジタルカメラ、プレーステーション、スマートウォッチに使われているばねを扱っています。ちなみに、アップルウォッチの中には13本のばねが入っているのですが、すべて「ミクロ発條」のばねです。次に半導体ですが、基盤と半導体の繋ぎの接点となるばねも作っています。半導体用のばねは非常に小さく髪の毛と同じ太さのものもあります。また、更に技術開発を行ない、ギネス記録に挑戦しています。
最後に文具です。文具の中でも水性ボールペンに使われているばねは、国内製品の約8割、海外製品の約5割は弊社のばねが使われており、世界でもトップシェアです。もしかすると、みなさんが使っているボールペンのばねは「ミクロ発條」のものかもしれません。
ちなみに、インベスターZという漫画の中で、ばねの世界トップシェアとして「ミクロ発條」も紹介されました。
―世界トップシェアとはすごいですね。創業からそうだったのでしょうか。
「ミクロ発條」は、カメラ用のばねメーカーとして創業しました。創業以来、カメラ用のばねを主力にしていましたが、1995年にインターネットが普及し始め、それと共にデジタルカメラも本格的に市場に出回るようになりました。そして、そこから5年ほどでフィルムカメラはデジタルカメラに席巻され、弊社の売上の7割を占めていたカメラ部門の売上もゼロになりました。ばねは、動力のあるところで使用されるものなので、動くところがなくなれば、当然仕事がなくなります。カメラだけでなく、音楽もCDではなく、スマホで曲を聴くようになり、電子機器の売上も低下しました。
―売上の7割がなくなるという危機をどのように乗り越えられたのでしょうか。
5年間で会社の売上の7割が無くなり、会社の存続の危機でした。そんな時に、新しく開発された水性ボールペンに出会い、その先端には超精密なばねを必要とする、新たなマーケットに出会いました。こちらとしては後がない状態でしたから、世界でナンバーワンになると決めて、日本や海外で1番大きな会社に直接アプローチをするなどをして、仕事を自分たちから取りに行きました。その時に決意したからこそ、今の世界トップシェアという結果に結びついています。
もちろんピンチではあったのですが、産業構造の変化にはどうしても影響を受けるので、常に技術を磨きつづけながら、あらゆる分野でトップシェアを目指すという考えをしないといけないと学びました。むしろ、困難なときほど会社は成長します。そこで、「ミクロ発條」では「あらゆる困難にもへたらず世界一のばねでお客さまをとりこにする」というビジョンを掲げ、顧客満足度高い世界ナンバーワンのばねメーカーになることをゴールにしています。
柔軟な発想で、社員も地域も楽しませる。
―「老舗企業」という言葉がぴったりだと思ったのですが、カメラ業界からボールペン業界に参入するなど発想が柔軟なんだなと率直に思いました。
そうですね。常に変化していくことは必要です。たとえば車もエンジン駆動のものがどんどん減っていって、電気自動車が増えていくことは見えているわけです。でも、この時代の流れを変えることはできない。であれば、自分の枠を広げて、頭を柔らかくして、発想を柔軟にしていくことが大切だと思うんです。
特に、ものづくりをしている会社は、製品にバラつきがあったりしてはダメなので、色々なマニュアルや仕様書があったりしてマニュアル人間になりがちです。だからこそ、一人ひとりが柔軟に考えることが必要だと思っています。
たとえば作業服ひとつをとってみても、どこの会社に行っても、みんな同じ服を着ているんですよね。でも、働いている人は、年齢も体型もバラバラなわけです。だからこそ、新しい工場のオープンに合わせて、個性を尊重する意味でも、様々なカラーバリエーションを作ってみようと思っています。
―その発想はなかったです。たしかに働く人に喜ばれそうですね。新しい工場もめちゃくちゃお洒落ですよね。
実は新しい工場は、目の前が市役所、隣が高島城という町の中に建設しています。諏訪に強いこだわりがあったわけではなかったのですが、諏訪市から、創業のきっかけになったカメラメーカーの本社の跡地がここにあるという提案を受けて、新工場を建設することにしました。
実際に、街の中に建てるとなると、やはり街並みが温かくならなければダメだと思いました。自分たちだけの場所にしてはいけないと思ったんですよ。だから、本来であれば外部の人は立ち入り禁止となる工場に門を設けないことにしました。
入り口は明るいカフェになっていて、だれでも入れるようになっています。市役所の目の前なので、そこで打ち合わせしてもらったり、コーヒー飲みながら仕事してもらったりしてもらうことをイメージしています。そして、エレベーターに乗って三階に上がっていただくと、世界一のばねを作る、我々ミクロ一味の秘密基地が入っているというコンセプトです。
―まるでアトラクションみたいですね。そういった柔軟な発想は昔から持っていたのでしょうか。
やはり出会いの影響は大きいですね。製造業に身を置いていると、どうしても製造業の仲間が増えていきます。でも、製造業の仲間同士だけで話をしていると、新しいアイデアは湧きにくいんですね。でも、製造業じゃない方、たとえばホンダラボのメンバーだと、飲食、観光といった他業界の仲間もすごく多いので、経営のアイデアが出ることが多いです。そういう仲間と接していると、やはり、もっともっと柔軟に発想して考えていかなきゃいけないなって感じることは多いです。地域の在り方、自分の会社の在り方を振り返ってみたときに、もうちょっと柔軟な発想でこれからはやっていかないと、たぶん会社の舵取りって難しいなと。やはり社員をもっとワクワクするような会社にしなきゃいけないなとか。そんなところからですよね。
「諏訪湖浄化」のためにトライアスロン大会を開催
―経営者としてやっていくなかで、「次世代のことも考えるようになった」とおっしゃっていたのですが、そのあたりのお話を聞いてもよろしいでしょうか。
そんな大それたこと言ったかな。(笑)でも、以前までは「会社の発展が地域貢献につながる」という考えでしたが、40歳を超えたあたりからもっと積極的に地域貢献をしていかなければという想いは自然と出てきました。もちろん、私は経営者なので、行政のような堅い仕事で街を良くすることはできません。ただ、人をワクワクさせたり、楽しませたりすることはできるんじゃないかと思ったんですよね。特に諏訪には、諏訪湖があって、私たちの子供の頃から汚染をされていて、臭いもひどかったものが、街の人たちのおかげでどんどん水質が改善されて、泳げるまでになったんですよね。その話を聞いた時に、トライアスロンの大会をやろうと思いました。
―そういった経緯があったんですね。
トライアスロン大会で「諏訪湖で泳ぐ」ことを目の当たりにしたら、地元の人たちにも「諏訪湖って泳げるんだ、綺麗になったんだ、もっともっと綺麗にしていこう」と思ってもらえるのではないかと。行政は、お金を出して諏訪湖を綺麗にしていく取り組みをしていますが、一企業としてできることは何かと考えたときに、やはりそうしたイベントで街全体が活性していけるのではないかと。自分もトライアスロンが趣味なので、自分も、仲間も、地域もワクワク、ハッピーになればと思って、トライアスロン大会を企画しました。2022年には、諏訪湖と八ヶ岳をつなぐ「スワコエイトピークストライアスロン大会」を立ち上げて、ラボのメンバーにも走ってもらいました。今後も、5回、10回と繋げていきながら、諏訪湖と八ヶ岳により興味を持ってもらって、諏訪湖の浄化活動が活性化してくれれば良いなと思って力を入れてやっています。
@かんば さんのブログよりお借りしました
―今回、お話を聞いた「新しい工場をつくること」「トライアスロンの大会を開催すること」は、ラボに入ってやりたいことを、まさに達成されたのではないでしょうか。
そうですね。ラボに入る時に、Naoさんに相談に行ったんですよ。ナオさんに「トライアスロン大会を立ち上げたいんですど、ナオさんもトライアスロン大会を立ち上げた経験ありますよね?」って言ったら、ナオさんが、「う~ん、お前、大変だぞ。今度、Honda Lab.っていうのをやるから入ってよ」って言われて、それがキッカケで入りました。
―実際に入ってみて、どうですか。
例えば、先ほど話した「新工場」は、それなりに自分の考えもありましたが、やはりラボに入って色々と刺激を受ける中で、もっともっと洗練されていきましたね。やはりNaoさんをはじめ、いろんなメンバーがいて、影響を受けてくなかで、世界が広がったように思います。トライアスロン大会も、「地域貢献」と銘打っているので、社員も応援してくれていますが、言うなれば、一個人の趣味であるわけで。でも、そうした部分も含めて、トップとして自らが楽しみながら、周りにも貢献することも大事だなということをラボでも、本当に学ばせてもらいました。
未来のために「良い学校」を創りたい
―今後も、何か新しい実験や挑戦を考えていらっしゃいますか。
良い学校を作りたいと思っています。人生の中で、自分ができることって何だろうと考えたときに、会社を経営していくことは非常に大きなことです。それ以外で言うと、やはり「この街がよくなること」だと感じています。「よくなる」とは、人が増えることです。もうこれが一番なんですね。実は今、私の家族は諏訪市ではなく、松本市に住んでいるんです。
―そうなんですね。
別に家庭環境が悪いわけではないですよ。(笑)自分で言うのもなんですが、すごく仲は良いです。なぜ、家族が松本に住んでいるかと言うと、学校が松本の方が良いからです。要するに、教育の選択があるからなんですね。東京には、学校の選択はいっぱいあると思うんですが、田舎にはないんです。どんどん子供が少なくなっていって、小中学校も統廃合を繰り返しています。
私の卒業した小学校も、5年前に廃校になりました。でも、その小学校も、話題になった映画『怪物』の舞台でもあるんですよね。是枝監督も「この学校で絶対撮影するんだ」っていって選んでくれたんですよね。でも、その学校が取り壊されようとしているわけです。
私としては、何かやりようがないのかなと思っていて、長野県でインターナショナルスクールをやっている人がいるので、その方と協力してインターナショナルスクールを諏訪に一つ創る計画をしています。これが次の一つのテーマですね。虐めとかいろんなことがあるなかで、学校の選択肢がないというのは、本当によくないと思っています。結果的にうちの子供たちは松本に行きましたし。うちの子供たちが大人になったときに「子供をここの学校に入れたいよね」と思うような学校をどうしても一つ創りたいという想いはずっと持っていて、10年ほど前から行政にも伝えています。でもどうしても、行政としても様々な制約があって物事が進まないんです。
だから、行政だけに任せるのではなくて、やりたい人がやることが一番大事だと思っています。いろんな話を企業と交渉することは、自分たちだってできるわけですから。トライアスロン大会で様々なスポンサーと話をしてきてわかったのは、企業にも地域貢献のために、予算を使う必要があるんですよね。そうであれば、本当にこの街のためになるものに使ってもらえるように一緒に考えていきたいなと思っています。
2024年6月23日「トライアスロン大会」にきてください
―最後にラボメンバーにメッセージをお願いします。
2024年6月23日に、第2回「トライアスロン大会」を開催するので、ぜひきてもらいたいです。
前回の開催から1年半開けたのには理由がありまして。トライアスロン大会で使う場所が6市町村に跨っていて、すべての市町村の同意を得る必要があるんです。前回の大会の時も、「よく6市町村の同意がとれたな」と地元の方も驚かれていたくらいです。そして、2回目の開催にあたっても、実は1つの市町村から反対をされていて、その交渉に1年半を費やしました。実際に、1回目を開催して課題はあったので。でも、今後も3回、4回、5回と繋げていきたい!繋げるには、2回目の大会の成功が必然です。ラボのメンバーでトライアスロンをやっている人は、是非全員参加してもらいたいと思っています。ゴールのブースも、地域性の感じられる温かいものになると思うので、単なるトライアスロンの大会と思わず、六市町村のみんなで作りあげた大会なんだということを感じてもらうためにも、是非訪れてもらいたいなと思います。
▼第2回スワコエイトピークスミドルトライアスロン大会
https://suwako8peaks.jp/
今回の「Honda Lab. SPOT LIGHT」では、諏訪で世界トップシェアのものづくりを続ける会社を経営しながら、地域、次世代のために尽力をされている小島拓也さんにお話をお伺いしました。@Taku さん、貴重なお話をありがとうございました!
今後もHonda Lab.メンバーへのインタビューを実施していきます。お楽しみに!
interview @みぃ
Text by @Yasuto