第28弾は、有限会社山冨商店の専務である濱本 隼瀬(@ハマー )さんにお話をお伺いしました。

1946年創業の老舗生地問屋の3代目として後継ぎに至るまでの思い、そこで知った衝撃の事実と家業復活のための数々の実験ストーリー、そしてハマーさんが考える生地問屋のこれからと、サステナビリティの観点からも世の中に貢献できる新規事業とは?

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有限会社 山冨商店 専務 | 生地の卸売と生地卸サイトを運営。ITを活用し、入社当時10社だった顧客を8年間で200倍の2300会員にまで増やす。日本で一番創造性を刺激するファブリックディーラーを目指す。

努力と偶然が織りなす奇跡の物語!3代目アトツギベンチャーとしてWebで事業を再生


ーまず初めに、お仕事の内容から教えてください。

    大阪の船場で、祖父が創業した山冨商店という生地の卸問屋の3代目として専務をしています。もともとはアパレルや、生地の原反など大きい卸売をする商売が主でしたが、10年ほど前に、生地の仕入れができるWebサイトを自社開発で立ち上げ、今はECでの生地卸販売がメインになってます。
    主にハンドメイドの作家さんや、クリエイターさん、新たにアパレルを立ち上げる方などを中心に利用してもらっています。現在の仕事は、EC事業の責任者として、また新規事業の立上げに関わる活動を行っております。


【 生地問屋YAMATOMI 】大阪船場の布・生地・テキスタイル仕入れ卸問屋

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約12000品番の生地の仕入れができるWebサイト・生地問屋YAMATOMI

―山冨商店を継ぐ前はどんなお仕事をされていたのでしょうか。

    大学を卒業して、横浜、東京、名古屋で3社転職をしてきました。昔から独立したい気持ちはあったので、大学中にリクルートやサイバーエージェントといった企業を受けたんですが、就職難の時期だったこともありなかなか決まりませんでした。大きい会社の仕組みがあり、ベンチャー気質な会社に興味があったので最終的に1社目は株式会社ゼロという日産から輸送部門のみ独立した会社に入りました。そこでは5年半ほど物流センターでの配車業務、本社ではオペレーション管理業務を経験しました。

    そこから独立を具体的に視野に入れたいと思い、ITベンチャー企業に転職しWebディレクション業務につきました。そして更に1年後、MTGというリファやSIXPADを作ってる美容健康器具の会社からのリクルーティングを受け、ベンチャー気質の高い社風と関われる業務の幅が広く面白そうだなと思い転職しました。そこではECサイトの立上げサポートや、営業推進部で営業資料を作ったり、バックオフィスの構築をしたり、展示会の企画、手配、設営準備など、営業推進の業務を1年半ぐらいやっていました。


―独立をしたい願望を持つようになったきっかけはありますか。

    それは明確にありまして、小さい頃うちのおじいちゃんのお年玉の金額が異様に高かったんですよ。なんでこんなにお年玉が多いのかおじいちゃんに聞くと、「社長は儲かるんだよ。仕事も自由だし、隼瀬君もいつか社長になれたらいいね」と言われました。だから友達の会社員のお父さんの話を聞くよりも夢があって、お金持ちっていいなという憧れがありました。それがきっかけで社長にならないと、おじいちゃんみたいにお金と時間を両方持てる豊かさは手に入らないんだなと思い、会社員で終わっちゃだめだなというのは漠然と思ってました。

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真ん中の浴衣を着ているのが祖父・山脇冨夫(母方の父)

ー家業を継ぐ経緯はどのようなものだったのでしょうか。

    実は家業を継ぐつもりは全くなかったんです。生地問屋さんって、生地の反物がたくさん積まれて見た目が汚くて、山冨商店に入りたいなという気持ちは全くありませんでした。
    ただ、何をするかは決めてなかったんですが、独立して何かしたいという気持ちだけは昔からありました。そこで今の時代、独立するならWebの領域がいいだろうなと思い、ITやWebについて学んだり交流会や勉強会に参加したりしていました。なので、家業をいつか継ぐ形になったとしてもまずは自分で会社をつくり、立ち上げた会社が大きくなり、父が年老いてきたときに、家業をいい感じにテコ入れしてあげられたらいいなと、漠然と思っていた位です。

    MTGで働いてちょうど1年ほど経ったときに、エネルギッシュな社長の元でもうちょっと働きたいなという想いがあったんですが、うちの父が体調を崩し、中期的なまとまった休みを頂き家業の手伝いに行くようになったんです。会社に戻り状況を社長に話したら、「隼瀬はどっちを選ばないと将来後悔するんだ?」と言われて、「家業に戻って、何かできることがあるんであればやってみたいという気持ちはあります。このまま潰れたら後悔するかもしれません。」と話をしたら、「じゃあ、辞めて家業に入ったほうがいい。家業に戻って頑張れ、応援するから。」と背中を押してもらい、家業に戻ることになりました。

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入社当時の山冨商店・BC反の生地をメインに扱っていました

    祖父が会社をやっていた頃は社員が10人程おり、営業所が3箇所あったんですが、僕が家業に戻ったときは父と経理のおばちゃんの2人、営業所は1箇所になっていて、会社の規模がすごく縮小していたんです。そして、家業に入って1ヶ月のよく状況がわからないときに、うちの父が2ヶ月間入院したんです。そこで父がずっと隠し持っていた帳簿を見ることになりました。小さい頃祖父の羽振りが良かった頃とか、うちの父が社長に代替わりしたタイミングで家を引っ越し、大きくなったのを見ていたので、昔から会社は儲かってるんだなというイメージがありました。なので、ワクワクしながら帳簿を見たんです。何億ぐらいあるんやろ、と思いながら見たら、銀行の残高が50万円程でした。現金が50万しかない?そのとき自分の貯めてた貯金よりも少なかったので、嘘?と思いました。でも、どこかに資産が眠ってるのでは?とも思いました。ただ、帳簿の見方がよく分からなかったので、詳しく見れる人に一緒に見てもらいました。すると、銀行の借り入れはないが父が会社に数百万円貸付をしていること、そして売掛金がきちんと約束のタイミングで入ってきたらなんとか保てるけど一歩間違えたら即倒産のリスクがあるし、売上も年々下がってるからこのままだとかなりヤバいということが分かったんです。すごくショックでした。

    ショックを受けていると、さらに経理のおばちゃんから「パンドラの箱を開けちゃったね」と言われ「今のタイミングで何故お父さんが隼瀬君を入れたのか私にはわからない。とにかく1年保つか保たないかの状態だから。悪いことは言わないから、前の会社に戻るか、新しい職場を探しなさい」と言われたんです。

    かなりショックで、いろいろ考えた結果、ちょっとだけ考え方をシフトして、独立することと、家業を再生することはニアリーイコールなんじゃないかと思ったんです。家業を再生できなければ独立してもうまくいかないだろう。だから、独立する気持ちで家業を再生させてみよう!それによって経営者として成長する経験もできるじゃないかと思いました。潰れるときは潰れた時で、最悪潰れたらまた前の会社に泣きつくか、新しい職場を探せばいいだけだと腹を括り、うちの父がお金を会社に入れて回ってる間はやれるとこまでやってやろうと決心しました。

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お店の横の倉庫に長机を置いて模索する所から家業再生をスタート

    そして、そのままだったら潰れるので何かしないといけないし、家業で何をしようかなというゼロスタートから始まりました。最初にやったのが、以前勤めてたMTGの展示会に出向き営業部長に時間を頂き今の状況を話しました。そしたら、うちの商品を売ったらいいじゃないかって言われたんです。ちょうどそのときリファの売れ行きがすごく良くて、イベントブースを出せばどこでも結構売れる時期でした。僕も営業推進でPOP作ったり、営業推進用の資料や展示スペースの経験もあったので、お店でやったらいいんじゃないかと言われました。MTGは卸先が限られてるんですけど、直で問屋への掛率で卸してあげるから頑張って売れよ、と言ってもらい、生地問屋の家業再生として美容商材のリファを売るところから始まったんです。本当ですよ。
    ですが生地問屋がいきなりリファを売るのはおかしいので、スーツを着て、横のスペースを借りてます風に演出して、船場センタービルの山冨商店の横でそれをやったんです。船場センタービルは宝石屋さんとかも入っているので、お金持ちの人もたまに歩いているんですよね。そういう人を捕まえて、営業推進で培った技術を駆使して6ヶ月で500万円程売りました。

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お店の横にMTG・ReFaのブースを置いてイベントを装い販売


    そこで出た利益を使って、次に何ができるかを考えながら、異業種交流会に行ったり、IT勉強会に行ったりしながら、なにかできることはないかと模索していくのが1年ぐらいでした。そこからITメディアの立ち上げとか美容雑貨の通販サイトの立ち上げとかいろいろやってたんですが、なかなかうまくいかなかったんです。もう残りの予算が60万円ぐらいしかないなとなったタイミングでした。

    たまたま北海道から農業用のアパレルメーカーの重役さんがプリント生地を探してたみたいで仕入れに来られたんです。うちは生地の問屋なんですけど、置いていたのが無地ばっかりだったんです。そのとき父は腰も治って戻って来てたので、プリントの生地があるか聞いたら、「奥にプリント生地のカタログがあったと思うから、あれを持っておいで」と言われて探してみたら、店の奥の方の段ボールの中に、テキスタイルメーカーさんのカタログがたくさん出てきたんです。それを段ボールごとお客さんに見せたら、2時間位カタログを見られて、これが欲しいと言われて、そのときの話がまとまり最終的に100万円ぐらい売れたんですよ。僕はそれまでカタログの存在を知らなかったんです。このカタログは何なのか聞いたら、うちは工場とかで余った生地をドカッと仕入れるのが得意な問屋だから、それを安くドカッと購入してくれるお客さんに売る商売なんだと。だけどカタログの製品はテキスタイルメーカーさんの作るピカピカ綺麗で旬な生地なので、高すぎてうちの顧客には売れないんだと言われました。でもそれが100万円売れたんですよ。そうなったときに、このカタログの生地を買ってくれる人がいるんだったら、ブログで生地のカタログのように整理して新作が出るタイミングでお知らせしたら、少なくとも北海道のお客さんは買ってくれるんじゃないかと思ったんです。じゃあ、北海道から来たあのお客さんのためだけにと思って、最後に余っていた予算の60万円でカタログサイトを作ることに決めたんです。

    そういったテキスタイルのカタログサイトが意外と世の中になくて、それがまさかの大ヒットになったんです(笑)。ちょっとプロ向けのアパレルの生地を探してる人などが、たまたまネットで引っかかって問い合わせが入ったりしたので、これはかなりニーズがあるんじゃないかと思い、その後どんどんWebサイトをブラッシュアップしていきました。クリエイターさんとも協力して、日本で一番生地の仕入れが分かりやすく、また日本で一番お洒落な生地問屋をウェブ上に作ろうというビジョンの元、ショールームをリノベーションして生地の図書館を作ったりして、メディアにも取り上げてもらいました。そうして改善できることを1つずつ取り組んでいったら、自分の中で絵に描いてたウェブ上の生地問屋の形ができてきて、僕が会社に入った頃は2000万円ぐらいの売上の会社だったんですが、7・8年頑張って、2億円ぐらいまでになりました。もがきと頑張りに偶然と運が組み合わさったんだと思ってます。

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リメンバー、船場。vol.2 ~ 山冨商店 篇 ~ | DEEPな船場をディグろう - 船場センタービル 50th Anniversary

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一つの目標にしていた生地見本が見れるショールームをオープン


Honda lab.が変えた、私の「働く」と「生きること」



ーそのように仕事も順調だった最中にHonda lab.に入り、そこから変化したことは何かありますか。

    Honda lab.に入ったタイミングは2020年、ちょうどコロナで布マスクの生地が飛ぶように売れたので過去最高の2億7000万円の売上だったんですよ。でもコロナが終わって忙しさも落ち着いた時に”終わり”を感じたんです。その家業の仕事に対して改善できることはやってきたのに、この事業はコロナバブルには敵わない、これ以上売上を伸ばすことは難しいとどこかで思ってしまったんです。
    そのときに従業員も新しく何人か入り、仕事も任せられるようになったので、次の新しい取り組みをしないといけないとは分かってはいたんですが、生地問屋領域の事業に対するモチベーションが下がってしまってたんです。

    そんなタイミングでHonda lab.に入りました。松本酒造の松本日出彦君(@松本日出彦 )とは小学校、中学校の同級生でフェイスブックで繋がって、それで本田直之さん(@Nao )を知ったんです。面白そうな人だなと思って、調べてみたらハワイと日本のデュアルライフをされていてライフスタイルや生き方に憧れました。そしたら、Facebookの広告でHonda lab.の情報が流れてきて、同じようなライフスタイルを目指したいな、何か学べるかもしれないなと思い入りました。

    Honda lab.に入ってからは、イトケンさん(@イトケン )に、東北ツアーに誘ってもらい、えいやーで行ったことが自分にとってかなり大きな経験でした。あのときに初めて、経験や体験にお金を使って学びを得ることが人生の充実に繋がるということを学び、そこから考え方がかなり変わりました。これまでは、ただただお金を稼ぐことを考えていたんですが、体験に使わないともったいないなと思わされましたし、「遊ぶように働き、働くように遊ぶ」という考え方を持っていいんだと確認できました。

    その後、関西で”勝手に関西でビジネスラボツアー”を企画した時にも、体験を通しての学び、共に行くメンバーとの時間や空間の共有が心を育て、感性を育ててくれるなと感じました。何に時間を使い、何に使わないか、誰と会い、誰と会わないか、何にお金を使い、何にお金を使わないか、何を学び、何を学ばないか、自分の中での線引きが固いものになりましたし、間違いなく人生の幸せ度が向上しました

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イトケンさんにお声がけを頂いた東北ツアー
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関西チームで企画した勝手にビジラボ(日々醸造を見学)

ーハマーさんにとって幸せに占める家庭や子育ての割合、位置付けはどのようなものなのでしょうか。

    Honda lab.は”人生は壮大な実験だ”というテーマなので、人生という枠で捉えたときに、僕にとっては子供を通した自己成長の実験は半端ないので、大事にしてます。子供が生まれてからは今までの自分の人生の時間軸に加えて、子供の時間軸がもう1個加わったような感覚があって、時の流れを二重奏のように楽しめてます

    子供から学ぶこともすごく多いんですよ。めちゃくちゃ純粋で無垢なので、やったことに対して素直な表情や言葉のレスポンスが来るんです。大人になって、アンパンパンミュージアムや公園の砂場にはなかなか行きにくいですが、子供がいると恥ずかしくなく、子供心を思い出させてくれるので、全力で一緒に楽しめて、これが個人的に学びや再発見があり楽しかったりもします。大人になって自分の中で壁を作ってるものが、子供にとったらそれはないんだと思うと、そんな遠慮しないでもっと自由にやったらいいんだなと学ばされるんです。   

    また、家族で沖縄に1ヶ月間移住をしたり、キャンピングカーで10日間北海道を旅をしたり、キャンプに行ったりもしましたが、子供の満面の笑顔や楽しそうな表情を見ると、なんて贅沢な時間なんだろう、これに変わる時間はどこにもないなといつも感じています。ナオさんの「チャレンジできる贅沢を満喫しよう」の言葉が好きで、子育ては本当に大変なこともあるんですが、子育てできる贅沢を満喫しよう!とそんな風に考えてみたりもよくしています。

    ただ子供がいると、自分の実験をする機会が減るんです。でも結局、自分は何を大事にするのかという問題なんだと思います。時間を使って何を得たいのか。僕の場合は子供と過ごして成長を傍で感じることを大事にしたいと思ったので、トライアスロンなど他のことにはなかなか時間を使えないという事実はあります。僕は近畿大学でトライアスロン部に所属してたのですが、そこで学んだものと子供から得られるものは違う豊かさなので、今は子どもとの時間を取捨選択している感じです。

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キャンピングカーで10日間北海道の旅

チームラボの生地版を目指す!創造性を刺激するファブリックディーラーの誕生


ー今後取り組んでいきたいことやこれからの会社のビジョンはありますか。

    うちのショールームに来るお客さんは、生地でこんなことできるかも?と気付いた人が生地を探しに来るんです。例えば、ジュエリーショップをやっていて、ジュエリーを箱で包んで渡していた方が、ジュエリーショップのブランドのイメージ的に、箱よりも何か違うもので包めないかなと考え、そういえば前に旅館で貰った巾着袋がかわいかったなと思い出し、巾着袋の生地を変えたらいいんじゃないかと思い付き、生地屋探してみようとなって、それでうちに来て生地を探して、自分の思い描いた巾着袋を作ってパッケージを変える人がいるんですね。この人たちのように、生地でやったらいいんじゃないかと自分で気付いた人がうちに来るんですが、気付かない人はいっぱいいるはずなんです。

    そこで、こちら側から生地でこんなことができるんですよと、生地の可能性を伝えていくことが大事だなと思っています。今までの会社のビジョンが、”日本で一番お洒落な生地問屋を目指す”だったのですが、これからは”日本で一番創造性を刺激するファブリックディーラーを目指す”に少しビジョンを変えたんです。

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南船場のジュエリーショップの梱包資材を企画提案。ウェディングシーンで使う生地を採用

    その生地からどんなクリエイティブなことができるのかという切り口として3つ考えています。まず、1つ目が販促パッケージや商品パッケージなどの販促パッケージ的な領域と、2つ目が空間装飾、そして3つ目が生地を使ったユニフォームやオリジナルTシャツなどのブランディングサポートです。

    1つ目の商品のパッケージでいうと、世の中は紙のものが多いと思うんです。ショッパーとかってどれだけ良いものでも押し入れに入れっぱなしか、結局捨てるじゃないですか。その販促のパッケージを生地でご提案できればいいなと思ってます。昔、BEAMSとかムラサキスポーツのショッパーは丈夫なビニール袋で、水泳のタオルと水着ぐらいは入るカバンで使えるような大きさで、それをもらって嬉しくて、中学とか高校にそのBEAMSのショッパーを持って行ったりしてたんですよ。それがなんだかんだ1年ぐらい保つんですよ。あれって友達からすると、やっぱBEAMSってお洒落だよねという、広報的な役割もあるし、捨てられずに二次利用で使われるという、そういった良さがあるなと思っていたんです。そこから、紙が破棄される代わりに、二次利用でブランドの販促のパッケージとして大事に使おうという企画提案をお手伝いして、うちがお客さんのサービスや商品により合うような生地の提案から構成して、企画して、納品するという、1つの販促パッケージができるといいなと思ってます。捨てられない販促パッケージを増やそうというのが、1個のサステナビリティーであり、これから取り組みたいことです。

    もう1つが空間装飾です。わかりやすい例ではイベントやウェディングの装飾を生地を使ってご提案するようなことはやりたいなと思っています。加えてもう少し深掘りすると、結婚式だと装飾に使った生地は捨てられることが多いんです。土屋鞄ってあるじゃないですか。そのランドセルは12万円くらいするんですがかなり売れているんです。小学校1年生から6年生まで6年間使った後、そのランドセルを土屋鞄に送り返すと、お父さんとかにプレゼントできる筆箱や定期入れなどにリメイクして送り返してきてくれるんです。それには6年間の子供のランドセルの想いが詰まっているじゃないですか。生地にはそういう効果があるなと思っていて、時を経てずっと腐らなかったりするので、空間やウエディングとかで使った何かを、ゆくゆく使った生地を使って、お子さん用の洋服などにしてお届けするとか、参列していただいた方に何か別の形にしてお届けするような、そんなこともご提案の1つとして入れてやっていきたいなと思っています。最近では、生地を固めてアクセサリーやシートに変える技術もあるので、そういった新しい技術も取り入れながら提案したいと思っています。

    そして、ゆくゆくはチームラボの生地版になりたいです。チームラボはデジタルアートを使って演出するチームですが、凄いと思うのは、遊園地とチームラボがコラボしたら、遊園地の集客力も上がるんですよ。
    生地を使ったクリエイティブなチームとして、”FABRIC STUDIO”という会社名に来年の秋に変えようと思ってるんですが、FABRIC STUDIOさんにやって欲しいとか、FABRIC STUDIOさんにこの商品の販促を作って欲しいとか、FABRIC STUDIOさんに空間演出をしてもらいたいと言われるようにブランディングをやっていきたいのが今の目標です。

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生地をレーザーカットで裁断し裏から照明をあてることで高級感を演出

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生地を使った空間装飾を提案

―最後になりますが、Honda Lab.の人たちにメッセージをお願いします。

    まず最初に、この素晴らしいプラットフォーム「Honda lab.」を作ってくださったナオさんに心から感謝します。ナオさんの価値観に共感するメンバーが多く、どれだけ権威のある方であっても話しやすく、関わりやすい、とても素敵なコミュニティだと感じています。熱意に溢れているけれど、それが過度にならず、どこか静かで落ち着いた印象を持っています。まるで赤い炎ではなく青く静かに燃える炎のようで、そんな方々が多いと感じています。

    皆さんの活動や考え、思いは、言葉だけでなく、その背後にある熱意や情熱からもいつも感じ取っています。そして、そのエネルギーにいつも力をいただいています。

    最近では、家業で取り組みたいと考えている新規事業について、個別にホンダラボのメンバーの方々に連絡を取り、10名の方にご意見やアドバイスをいただきました。普通ではなかなかお話できないようなビジネスの知見や実績を持つ方々が親身になって聞いてくださり、率直な感想やフィードバック、アドバイスをいただき、愛を感じました。お時間をいただいた皆さま、本当にありがとうございました。事業が推進フェーズに入りましたら次は営業させてください笑。

    最近、コミュニティが以前ほど活発でないと感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、私個人としてはナオさんを中心とした価値観を持つ方々が集まる場そのものに、非常に大きな価値があると思っています。きっとまた、タイミングがくれば新しい波が生まれるタイミングがくるんじゃないかなと感じています。ゆるやかでありながら、内側にとんでもない情熱がある、そんなHonda lab.が大好きです。 これからもよろしくお願いします! 関西にお越しの際は、集まりを企画しますので、気軽にお声掛けください!


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    今回の「Honda Lab. SPOT LIGHT」では、濱本隼瀬さんの今現在の幸せな生活に至るまでの波乱万丈なストーリーから、仕事や子育てに対する思いや価値観、そして未来の会社のビジョンまで、様々なお話を伺うことができました。@ハマーさん、貴重なお話をありがとうございました!


今後もHonda Lab.メンバーへのインタビューを実施していきます。お楽しみに!

interview・Text by @しゅーへー(大箭周平)