https://amzn.asia/d/5V9AHIw 第二十四弾は、株式会社あいホーム代表取締役をされている伊藤謙さん(@イトケン )さんにお話をお伺いしました。本の出版、イベントプロデュースと工務店の経営にとどまらず、変化を続けるイトケンさんが大切にしている価値観、その根底にある想いとは?

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株式会社あいホーム代表取締役|『地域No.1工務店の「圧倒的に実践する」経営』『圧倒的に実践するブランディング』著者。住宅産業のIT活用など、顧客管理の水準を上げるDX化を推進。自身がプロデューサーとなり多数のイベントを手がける。Honda Bussiness Lab.ゼロ期。


最高のホームをつくろう。

ーまず最初に、イトケンさんのお仕事について教えてください。

    僕の仕事は工務店経営です。東北地方の宮城県で、一戸建ての木造住宅を扱っています。お客様が家を建てたいと考えたときに、住宅展示場で選んでいただく会社のひとつがあいホームです。様々な住宅会社がありますが僕の会社の特徴は、大手ハウスメーカーとは異なり、地元出身のハウスメーカーであることです。現在は宮城県内に8店舗を展開し、地元に特化した他店舗展開をしています。祖母が創業者で父親が2代目、僕が3代目として2020年の5月に会社を引き継ぎました。

―代替わりをされるまでの間もあいホーム様でずっと働かれていたのでしょうか。

    2011年の東日本大震災までは、徳島県で修行していました。地震の翌日に帰省することを決めて、そこから会社に入社しました。元々は営業出身なのですが、東日本大震災の影響で営業しなくてもお客さんが来る状況が生まれる特需の状況であり、その時に必要だった現場監督の仕事を主にしていました。自分自身は、理系ではなく建築のことは社会に入ってから勉強したのですが現場に飛び込もうと思い、現場監督以外にも経理、商品開発、設計と全てやりました。

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―徳島の修業時代は営業のお仕事だけだったのでしょうか?

    営業と社長の鞄持ちをしていました。3年間営業の勉強した後に、直接僕が社長になるであろう35歳頃の年齢かつ伸びている会社の社長を探して、数ヶ月社長の鞄持ちをさせてくださいとお願いしに行きました。
    面識はなかったのですが父親が注目していたこともあり、直接話を聞いてこの人の元で学びたいと思い働いていました。

―自分の中で会社を継ぐと決められたタイミングはあったのでしょうか。

    生まれたときから跡継ぎとして育てられ、親戚の叔父たちからも跡継ぎの話をされていました。ただ、自分の意識としては継ぐことを決めていたわけではなく、意識せざるを得ない状況でした。僕の食卓の会話も100%仕事の話だったことも影響していると思います。仕事の話をするのが普通だったのですが、妻は商売をやっていない家系だったので、最初は家族が食卓で仕事の話ばかりしていることに違和感があったようでした。

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旧伊藤ベニヤ商会の創業者である祖母との写真

人生への決断を支えた、故郷への想い

ー周囲から言われるなかで、ご自身の考え方が変わるきっかけはあったのでしょうか。

    一番きっかけになったのは学生時代、21歳の就職活動の時期でした。当時、僕は東京で大学生活を送っていたのですが、時々宮城の実家に帰省しその度に今では考えられないぐらい、父親と大声で議論し合っていました。父親は僕に対し将来会社を継ぐかどうかを問いかけ、継ぐならキャリアの積み方が変わるという話をしていたのですが、自分自身は21歳の時点で社会経験が浅く、レールを敷かず、もっと自由な選択をしたいと考えていたので、継ぐかどうかを決めることができませんでした。父親は僕に対して自由な選択が大切だということを認識していたのですが、一方で、会社の未来を考えるときにはキャリアの選択が重要だと考えており、何度も口論を繰り返していました。
   
    振り返ってみれば、その時点で僕は自分の気持ちを100%父親にぶつけた喧嘩をしつくしたんだと思います。自分の意見を全て出しきった後に、自分の学生生活が充実していることに気づきました。ラグビーやアルバイト、恋愛など、たくさんの経験を積んでいて、それを自分の会社の社員さんたちが支えていたことに気づいたんです。その時、僕の中で雷が落ちたような感覚があり、会社を継ぐのは自分しかいないと強く感じました。最初、父親に伝えたときは、父親も懐疑的でしたがお酒の席で伝えた話を翌朝再度伝え、その時には自分の中でも道が決まった感覚がありました。そこから、父親とともに僕の修業先含めキャリアについて模索し始めました。

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地元、加美町の田園風景。
ー話し合い後、継がれるご年齢やタイミングは決まっていたのでしょうか?

    継ぐ年齢については、正直僕自身も想像がついていませんでしたし、父親も特定の年齢を決めていませんでした。ただ、結婚する年齢については何度も聞かれていました(笑)。
    最終的には、父親が65歳になったときが決め手となりました。実は、僕が社長になる前に多くの先輩社長と話をしていたのですが、ほとんどの社長は65歳で引退すると言っていても、実際には誰一人その通りになった人はいませんでした(笑)。それもあり、父親が65歳で引退すると言った時も準備はしていましたが信じていませんでした。僕が社長になる当日から父親が一切出社しないところを見て初めて本当だと実感しました。

    当時、父親には代替わりはリレーのようなものだと何回もいわれていました。父親はリレーの第3コーナーに差し掛かったという感覚で、いつでもバトンを渡す覚悟があると。それを受け止めるためにも、僕もスピードにのってバトンを受けないといけないと感じていました。ちょうどHondaLab.が始まった頃、2020年の5月21日に父親が65歳になり、その翌日に引退し僕の誕生日である5月22日に社長としての第一歩が始まりました。

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―実際に社長になられてから、変わったことはありますか?

    住まいや時間の使い方も含め、全てを変えました。過去から行ってきたことはやめて、ほとんどのことを新しくしました。大前研一さんが本に「使う時間、住む場所、会う人」という3つの要素が人生に与えるインパクトの大きさについて書かれているのですが、ものすごく腑に落ちています。
    長い間、常に父親の経営判断のもとで専務取締役として仕事をしていたので、どこか自分を抑えて生きている部分があったのだと思います。

人生の土台をつくった、初の海外一人旅

―社長になられる前から、今も変わらない価値観、または、大切にされている価値観や座右の銘みたいなものはありますか?

    僕が一貫して大切にしているのは、楽しむこと、楽しむ気持ちを大事にすることです。困難な状況でも、全てを楽しむことが大切だと考えています。仕事も同様で、人生の大半を占める仕事が楽しくないと、僕は嫌になります。ですから、常に楽しいものに変えたいというのが、僕自身の価値観です。

―その価値観に影響を与えたことはありますか?

    特に影響を受けたのは、19歳の時に1ヶ月間ギリシャに行った経験です。
    元々、僕はラグビーをやるために今日本一にもなっている高校で3年間寮生活をしていました。ラグビーと勉強をひたすらやる生活だったのですが、その3年間をやり抜いた忍耐力、やり切った莫大なエネルギーが自分の中にありました。大学に進学後、ラグビーだけの生活は嫌だと思い、もう少しバランスのとれた生活を過ごしたいと過ごしていたのですが、エネルギーがあり余りすぎて何にぶつけたらいいか分からない状態でした。

    今じゃ考えられないのですが、毎日友達とお昼を食べているときに、何か面白いことないか、毎日つまんないとずっと友達と話していました。本当に何十日もそういう毎日で、抜け殻みたいになっていました。そんな状態の時に偶然、先輩の知り合いに「君はとりあえず、どこでもいいから海外に行ったらいいんじゃないか」と言っていただくことがありました。

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高校時代のラグビー部


    「ギリシャ、いいかも」という思いだけで、その場でギリシャ行きの飛行機をとって、旅費もお年玉を貯めていたことを思い出し、行くことを決めました。英語もギリシャ語ももちろん喋れず、1回も海外に行ったことがない状況だったので、いろいろな壁にぶつかったのですが、楽しければ上手くいく感覚が行く先々でありました。
    海外の情報もとりあえず、海外に行ってる人に聞いたらいいと思い、ギリシャ向かう時のトランジットで日本人を見つけて話しかけたりしていました。楽しければ相手も別に無駄な時間にならないと思っています。その後、現地でも同じパターンを繰り返して約1ヶ月過ごすことができ、楽しむことが大事、なんでもできると思えるようになりました。

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19歳、サントリーニ島にて
    今の僕にも繋がるのですが、僕は手順が決まっているのがすごく嫌なんです。ゴールと手順が決まっていると、自分でなくても良いのではないかと思い、悩んでしまう部分があります。組織経営する上では、ゴールやミッションが決められていて、自由に行動できる方が僕は喜んで仕事ができるのですが、社長になってからは、ほとんどの人がそうではないことが分かってきました。きちんとした手順がないと人は動かないということを学んでいます。

聞いて読んで現場で吸収!フットワークの軽さが課題解決の近道!

―アイデアの源泉はどこにあるのでしょうか。

    ベースになっているのは明らかに読書と音声教材です。
    20代の頃、現場での仕事を一番していた時にほぼ半分の時間を移動に費やしていたので、車に乗るとすぐに稲盛和夫氏や孫正義氏などの音声が流れるようにしていました。特に対談形式のものが好きで孫子の兵法なども何百時間も聞いたと思います。
    音声を聞いて、本を読み続けるとお会いするほとんどの先輩が同じようなことを言っていることに気づきます。その中で、自分の課題に当てはまる解決策を見つけることも多く、原理原則を徹底的に勉強しました。

―問題や課題の発見も、読書や音声教材から得たものだと思いますか。

    僕は現場に飛び込むタイプなので、とにかく現場に行きます。例えば、大工の方の問題なら、自分でも同じ仕事をしてみます。見に行くだけではなく、同じことを体験する方が早いと思っています。実際、同じ作業をやってみると問題が明確になり、経営者としてどうすればいいか自ずと見えてきます。

    また、工務店・住宅業界は、人生で一度の大きな買い物でもある家を扱うので、クレームが多いと言われています。家を建てる期間は90日から100日程ですが、毎日の騒音や汚れの問題が生じることで、周囲の人々が迷惑がることがあります。今はほとんどありませんが本気でクレームをいただくときは、僕が直接行ったほうが解決が早いです。他の人が介在すると問題がこじれると思っているので、そういうときはまず自分で行きます。お客様に直接社長が来ることに驚かれることも多いのですが、それが解決の近道だと思っています。現場に飛び込むことが、課題発見の方法として僕らしいやり方かもしれません。

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    同時に何十もの課題を抱えているので、何かを学んだときには、そのアイデアが他の課題にも応用できることがあります。僕の中に抱えている何十個の課題のどこかに当てはまることが多いです。
    HondaLab.のみなさんとお話したり、他の経営者と視察に行ったりするときにも一生懸命聞いていると、自分の中の課題の解決策が必ず見つかります。どんどんPDCAが回っている感覚があって、止められないんです。ブレーキを踏む方が怖くて、どこかでバランスをとらないといけないのですがブレーキを踏む方がリスクになる気がしてならないです。僕自身にそのスピードをコントロールしたり、調整する能力がないと思っているので、できるところまでやってみようと考えています。

たくさんの人と出会ってきたイトケンさんが考える「人」への想い

―人とのつながりを作るときに大事にされていることはありますか。

    元々たくさんの人の中で育ってきたこともあり、人との交流が好きだということが僕のベースにあります。趣味ともいえるのですが、商売をしている人、ゼロイチで何かを作り上げる人の話を聞くのが好きです。車の中で聞いていた対談音声にしても、聞きたくて仕方なくて聞いていました。その中で、人とのつながりや交流を増やしていくのが僕の趣味であり興味です。

    それを意識的にするには、仕事にするしかないと思っています。友達、仲間といった僕が困ったときに聞ける人や一緒に仕事ができる人、社員も含めて人との繋がりこそが最大の資産だと思っています。人件費でみるとコストになってしまうと思いますが、人的な資産は財務諸表に載らない資産だと思っています。

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    ナオさんの「レバレッジ人脈術」の本にも人的資産について書かれていて、読んだ時にまさにこれだと感じました。お金以上に時間の使い方を意識していて、今は本を読んだり音声教材を聞くよりも人と話す時間のほうが圧倒的に多いです。
    人の話を聞けば聞くほど、これは本に書いてないぞ?ということがあります。そういった経験をすると、直接人から聞く方がいいと感じ、それが増えてくるとこれは本に書かなくちゃいけないなと(笑)。様々な挑戦をしていく中で、自分自身、同業者から聞かれることも増えてきたので自分でも本を書き始めたのですが、振り返ると今までのことが繋がっていることを感じていいます。一生書き続けます。

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■伊藤謙さんの著書
・地域No.1工務店の「圧倒的に実践する」経営    DXで生産性最大化、少数精鋭で高収益!地域No.1工務店の「圧倒的に実践する」経営    DXで生産性最大化、少数精鋭で高収益!*台湾でも出版されています


・どんな逆境もチャンスに変える!    環境激変でも“連続”最高益! 地域No.1工務店の「劇的に進化する」経営
圧倒的に実践するブランディング: 熱狂編
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止まらない変化!次なる挑戦は魅力ある街づくり

―今後プライベート、仕事で取り組んでいかれたいことについても教えてください。

    一番熱狂しているのは、魅力ある街を作ることです。家を作っているだけでは面白い人は集まらないということを強く感じています。僕が日本中を旅するときには、面白い人がいるところを目指して行っているのですが、突き詰めるとそれは建築物ではなく「食」でした。美味しいものや豊かな食文化のあるところに人が集まっているのを見ると、地方の工務店経営者として本業の住宅を作ることは継続しながら、それ以上に地元の食文化をもっと面白くするプロデュースのようなことをやらないとダメだと思うようになりました。

    今、課題として思っているのは、野菜や食材を作っている生産者の方たちと料理人の方がたくさんいる一方で、その方たちを繋げる機会がとても少ないということです。料理人同士・生産者同士、そして地元の経営者も含め、いろいろな人が繋がるような場を作っていきたい、これを1年間まず本気でやってみようと思っています。

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地元仙台でプロデュースした「食」のイベント
―生産者の方、料理人の方たちが繋がっていないように感じたきっかけはあったのでしょうか。

    一番は僕が知らなかったことです。こんなにいいものがあったんだということを食を追求していくと毎回思います。生まれ故郷の近くで美味しいタケノコがあるということを別の場所で聞く機会があったり、東京出張で食事をしているときに宮城県産ものが出てきて知ることもあります。こんないいものがあるのを知らないことに気づき、もっと知りたいという気持ちが湧いてきています。

ーHondaLab.に入って変化したことはありますか。

    全部変わっています。特にできないと思うことがものすごく少なくなりました。Lab.に加入前は、狭い世界にいました。住宅・工務店業界のことしか知らなかったですし、同じ業界の方としかいませんでした。今は逆に同業界の方といることがほとんどありません。異業種の方や、年代が異なる方、別の地域に住んでる方との接点が増えました。
   
    話をするようになったのも1つだと思いますが、一番は現地に足を運んでいるのが大きいです。宮城県外に出たりしなかったのですが、今は北海道から九州まで多くの場所に足を運んでいます。見るもの全てが仕事に繋がると感じているので、移動してる量が一番自分を変えたかもしれないです。
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Honda Bussiness Lab.のビジラボ合宿で京丹後へ
    また、以前は相手に貢献できる気がせず、誰にも会うまいと黙々と本を読んで意識的にこもっていました。もっと修行を積んでからでないといけないと思っていましたし、何の意思決定もできない状態で会ったとしても、人に何もプラスなことをしてあげられないと思っていました。ナオさんもいっている「コントリビューション」という言葉を聞いて、自分の思いがようやく言語化されたのを覚えています。
    HondaLab.に入ると、まず土台として、自分から相手に何かしら貢献できるものを持っておく必要があるし、そのスタンスがみんなの中にあるのでコミュニティが素晴らしいと感じるようになりました。

―最後にHondaLab.の方へのメッセージをお願いします。

本当にラボ最高です!というそれしかないです。もっと貢献できるように頑張ります!
コントリビューションランクもあるので、1位目指します(笑)。


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今回の「Honda Lab. SPOT LIGHT」では、HonadaLab.0期でもあり、工務店経営にとどまらず、出版、イベントプロデュースと様々な挑戦をされ続けている伊藤謙さんに価値観やこれからの挑戦についてたくさんお話をお伺いできました。
@イトケン さん、貴重なお話をありがとうございました!

今後もHonda Lab.メンバーへのインタビューを実施していきます。お楽しみに!

interview・ Text by     @みぃ