第41弾は福島県、宮城県を中心にコインランドリーを経営されている株式会社サンキュー代表の岩井啓訓さんにお話を伺いました。
    自身のこれまではどうだったのか?そしてLabに入り、会社がどのように進化していったのか?また自身も仲間と共にアイアンマンレースに出場し、見事完走。どうしたら挑戦できるのか?そしてそれをどうやって続けることができるのか?成長の秘訣を探っていきます。

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写真 岩井さん地元の名所で磐梯山と猪苗代湖
株式会社サンキューHP  https://39-cl.co.jp

「ありがとう」があふれる社会をつくる

-最初に、岩井さんの現在のお仕事について教えてください。
     
    現在、福島県、宮城県を中心にコインランドリーチェーンを展開している株式会社サンキューの代表を務めています。今年の7月に新店がオープンし60店舗になりました。現場のオペレーション改善や、エリアマネージャーの育成、設備の保守などを取りまとめています。ブランドの向上を大切にし、経営全体の統括を行っています。
    会社自体は、父が創業してから約33年経ちました。父はもともと製造業を経営しており、その傍らで副業としてコインランドリー事業を始めました。それを私が引き継いだ形です。
    父が海外旅行をしたときにアメリカでコインランドリーを見て、これは日本でも流行るのではないかと思ったそうです。今から30年以上も前の話なので、自分の住む街にはコインランドリーは1、2店舗しかない。コインランドリーの先駆けとして始まりました。
    コインランドリーサンキューという名前は創業当時に父が名付けたものでした。本業である製造業で資産も貯まってきたので。地域に貢献していきたい。お客さまへ感謝を示したいという意味を込めて名付けたそうです。

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10年間、耐え抜いた力を自信に

    ―会社を継ぐ前は何をされていたのですか?
     
    会社を継いだのは自分が35歳くらいのころです。大学を卒業してからの約10年間、司法試験の浪人生をやっていました。
    高校生の頃から検察官になりたくて、20代のほとんどは司法試験の浪人生。近くに法律家の方がいて、純粋にかっこよく憧れていました。それで調べていくと、弁護士だけではなく、裁判官、検察官もいる。それだったら自分の興味がある刑事事件に関われる検察官を目指していくようになりました。
    その当時は、旧司法試験でロースクールなどない時代で、カレンダーに関係なくずっと勉強していました。朝から晩まで机に向かっています。池袋にある自習室の管理人をしながら、勉強に勤しんだ10年でした。
    同世代が社会で成長していく姿を見ながら、「自分は何をしているのだろう」っていう10年。当時の旧司法試験は5年、10年はかかるというのが当たり前の時代。いずれやっていれば、必ず受かるだろうという軽い気持ちもあったのですが、現実は甘くない。苦しい気持ちでいっぱいでした。
    東日本大震災が発生したときは東京にいて、福島のリアルは体験しませんでした。幸いにも、特に大きな混乱はなく勉強を続けました。帰った時にも大きな風評被害もありませんでした。
    頑張っても結果は中々出ない。過去問を何百回も解くということを続けていました。そういうことが10年続いてもやめられない。それまでやってきたことが全て無駄になるという怖さと、もう1回やったら受かるのではないかっていう僅かな希望がずっと同居していたからです。
    結果だけ見ると、10年やって何も得られなかったかもしれません。ただ今振り返ってみると、その10年間を耐え抜いた力みたいなものが、自分の中で結構な自信にもなっています。報われない時間の中で自分が続けられたということこそ、自分の強さなのかもしれません。ただ感情に流されずに、淡々と積み上げていくことが出来るようになった十年間だったのかなと思っています。
    会社を経営していると、いろいろ停滞することもあります。しかしこの10年で培ったことが活かされていると感じています。

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写真    司法試験浪人時代    背中が勤勉さを物語っています

あるべき姿に変えていく

―なぜ会社を継ごうと思ったのでしょうか?そして会社を継ぎどう感じましたか?
   
    きっかけは、司法試験が限界だなと感じだからです。「とりあえず実家に帰る」そのことを父親に相談したところ「だったら、会社を手伝ってくれ」みたいなことを言われました。
    元々家業を継ぐ気はなく、検察官になるつもりで東京に出てきました。しかし、地元に帰るってなり、だったら家業をやろうとそのままの形で入ることになったのです。
    損益計算書や貸借対照表は知りません。大学で簿記もやっていませんでした。しかし数字は面白いと感じるようになりました。そしてもっと興味をもったのは組織つくりでした。組織で何かしたい。しかし何かをやりたいと思っていても、当時は経営理念やパーパスはありませんでした。そのため、組織として先に進むのにつまずいていました。
    そのまま、どこに修行するわけでもなく家業に入りました。遅れを取り戻すために、いろいろな本を読み勉強もしました。知識先行でいたかもしれませんが、父親のやり方に葛藤を感じる場面も多々ありました。
    父は起業家気質でした。行動力と決断の速さは今でも尊敬しています。一方でどこか倫理観に欠けるようなところも見受けられました。
    例えば、期末に大量の洗剤を発注して、期末内に経費としてあげてしまうところとか。それは利益を操作しているのではないかと自分は感じてしまいました。自分と妻が経理に入っていたので、その感覚に馴染めません。そういうことはやりたくないというのが2人の気持でした。
    ただそれをやらないってなると、経営者として甘いともよく言われ悩んでいました。引き継いで約12年が経ったので、もうそのようなことは言ってきません。しかし当時は意見の食い違いが多かったのです。
 

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自ら動いてもらう大切さ

―コインランドリーサンキューの強みはどんなところですか?
     
    寄り添うサービスをしてくれるスタッフの存在です。
    コインランドリーって、中の部屋は無人で機械だけが並んでいるイメージがすごく強いと思います。しかし、うちの場合は業界でも珍しいのですが、1店舗につき1人必ず専任のスタッフがいます。単なる清掃員ではなく、店長として存在しています。
    常連のお客様であれば管理しているスタッフの顔が分かってきます、無人の時間帯もあるのですが、顔の見える店舗つくりを大切にしています。
    業種は違いますが、スターバックスが表現している『サードプレイス』のような空間にしていきたい。ただ洗濯する場所ではなく、お客様とスタッフがコミュニケーションをとる、お客様同士がコミュニケーションをとる、そんな場所にしていきたいと思っています。
    会社側は要求していないのですが、スタッフがお客様の荷物を預かることもします。
    他にも、スタッフが自主的にお客様の洗濯物を畳んであげることもあります。お客様は洗濯機に洗いたいものを入れると、どこかに行かれる方が多い。出かけている間に洗濯が終わることがあります。それをスタッフが取り出して畳んであげるのです。お客様は驚きますよね。
    1店舗に1人しかいないので、お客様と顔馴染みになっていきます。そうすると、家族の悩み事を相談されたり、お土産を頂いたり、野菜をもらったりすることが頻繁にあります。
    現在、コインランドリー業界は光熱費の値上げや競合の増加で厳しいのですが、店舗を管理してくれているスタッフを軸に差別化を図っていきたいと思っています。

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    想いの薄まらない会社をつくる

―会社を広げていくときに何か気をつけていることはありますか?

    会社のパーパスをベースに、うちのコインランドリーを使ってもらう意味を見つける。その想いをスタッフと共有し経営していくことです。   
    うちの場合は店舗が60店舗あって、遠方にも結構あります。一人一人が机を並べて仕事しているわけではありません。店舗数を求めていくと、どうしても会社の色が薄まってしまいます。そうならないため、会社が大切にしている価値観を理解してもらうよう努力をします。
    自分が定期的に店舗巡回でスタッフと会った時に伝えることはもちろん、年に数回、全店スタッフが集まって、温度感を合わせる会も設けています。会社の想いや頑張っているスタッフの想いを共有する場でもあります。
    そしてパーパスを掲げるだけでなく、パーパスブックもつくりました。定期的にテストも実施しています。それによりパーパスの理解が深まっています。

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写真    パーパスブック

人は人によって変わることができる

―会社のパーパスはどのようにして生まれたのでしょうか?

    Labがきっかけで生まれました。
僕はビジネスラボにも加入しています。その合宿で@トシロー さんのお話しを聞いたのがすごく印象的でした。それは『ブランドとは意味である』ということです。その話を聞き、うちのコインランドリーを使っていただく意味を見つけたい。大きな気付きを得ることができました。
    そのために、先代の父親にどういう想いで会社をつくったのか、約1ヵ月かけてインタビューを行いました。お酒抜きで真正面から向き合い、その想いを言語化。経営理念や、会社のパーパスを一から作り直していきました。
    ホームページも一新しブランドを高める努力をしています。

―現在、取り組まれていることは何かありますか?
   
    Labの@ススム さんの力を借りて、会社のDX化を進めています。毎日、各店舗から日報が送られてきます。その日報を全て、ススムさんが作成したAIのシステムを通じてまとめられます。それが評価制度にも直結するのです。評価をSからDまでの判定がくだされます。まだ取り組んでいる最中ですが、とても良い仕組みだなと思っています。

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写真    ビジネスラボの合宿にて

動くことで心の変化が生まれる

―Labに入ったキッカケは何ですか?そしてLabに入り変化したことはどんなことですか?
   
    元々、@Nao (本田直之)さんのことを知ったのは、妻がきっかけでした。彼女が本を勧めてくれたのが最初です。
    当時は結婚前だったのですが、彼女の家に『レバレッジシリーズ』の本がズラッと並んでいました。それまでは@Nao さんのことは知らなくて、逆に彼女がファンだったのです。    彼女はフェイスブックもフォローしていて、「オンラインサロンが始まるらしいよ」と教えてくれました。それで「やってみたら」と言ってくれ、自分も興味があり入りました。
    実際に変わったこととしては『ものの見方』が変わったことです。
    先ず入って始めたのはランニングでした。Labの皆さんは運動されている方が多くて、その影響を受けたのです。当時は体重が100キロ近くありましたが、走り始めて18キロくらい減りました。
    運動して動くようになり、心の変化が生まれていきます。@イトケン さんから色々お声を掛けて頂き、外に出るようにもなりました。これまで行ったことないような土地を見ることも増加。走ることとLabの仲間を通じて行動範囲が広がったことが一番大きな変化でした。
    @イトケン さんには当初からいろいろ声をかけていただき、本当に感謝しています。その存在が東北で活動するうえでの大きな支えになっています。そして最近は、福島にも@くま さんが加わってくれて、とても嬉しいです。地域にもLabのつながりが広がり、いい刺激を受けながら前に進めることが何よりの力になっています。

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決めたことを守る大切さ

―アイアンマンにどうしてなろうと思ったのですか?
     
    アイアンマンになろうと思ったのは『勢い』です。ランニングを始め、トライアスロンもやるようになりました。
    いつの日だったか酔っぱらっている@たつや さんか@たくやん さんから連絡がきて「アイアンマンレースにエントリーしたから、岩井さんも」みたいに言われました。驚愕です。
でも、挑戦しました。(アイアンマンレースにエントリーするときは、みんな酔った勢いって自分は聞いています)
    とりあえず「完璧でなくても良いから始めてみよう」、そんな想いがあったからこそ挑戦したのだと思います。そこから半年間、準備をしてレースに臨みました。
    モチベーションを維持するために、「ゴールを決める」ことを意識しました。経営も一緒だと思っているのですが、ゴールを一度決めてしまうとそこに向かわざるを得ない。そんな環境に身をおくことができます。そこに向けて迷いは全くありませんでした。
    そしてLabのメンバーも支えになりました。
    自分は地方に住んでいて、普段は全く一緒に練習はできません。しかしオンラインのアプリで誰かが走っているのが分かる。そうすると、自分も走らざるを得ない。そのため、自分一人でゴールに向かっているという感覚はありませんでした。常に誰かと一緒でつながっている感覚があったのです。
    そしてアイアンマンレースに挑戦。ゴールした時はもちろん感動しました。しかし、一番感動したのはそこではありません。一番感動したことはレースのスタート地点に立った時でした。そこに辿り着いた自分が嬉しい。アイアンマンになろうと思った自分を称えたい。その感情が湧き上がりました。
    結果も大事だとは思いますが、そこに立つ自分に出会うことが一番大事ではないかと思っています。

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お父さんはアイアンマン 

―これからどんなことをしたいですか?
   
    今現在は目標設定に悩んでいる自分がいます。アイアンマンが終わり、フワフワした状態です。アイアンマンが終わってから、2戦くらい違うレースに出たのですが、あまりしっくりきませんでした。アイアンマンみたいに興奮するような盛り上がりが少なかったのです。
    今は新たな挑戦は特にしていませんが、またアイアンマンはやりたいなって思っています。あのとき一緒に出た13人(@久保 英弘 さん @コージ さん  @さわ さん @しゅーへー  さん@@SHOTA @シロー さん  @TAKA さん @たくやん  さん  @たつや さん @ナオキ さん@まき さん @Moto さん 50音順)の方には本当に感謝しかありません。あのメンバーがいたからこそ、アイアンマンを完走できたと思っています。だから、今一度13人のメンバーでアイアンマンに出たい。純粋にもう1回一緒にやりたい気持ちが強くあります。
    そして、今は家族との時間も大事にしています。
    Labのビジネスラボでは外に出ることが多くあります。そこでは良い景色を見て、美味しいものを食べることができます。それらを自分だけの体験にするのではなく、後日家族を連れていくようにしています。その体験を家族とも共有したい。その想いが最近は強いですね。娘がいて、今は8歳なのですが、『お父さんはアイアンマン』なんだと認識してくれてもいます。Labでの体験が家族に良い影響が出れば良いなと思っています。
    そしてもっと海外旅行もしたい。特にハワイには行きたいですね。

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    もう少しやってみよう

―このSpotlightをご覧になっている方にメッセージをお願いいたします。   
   
    Labはすごい方ばかりです。自分の道を突き進んでいる方が多くいらっしゃいます。そこで行動する楽しさを教えてもらいました。自分自身は誰かを引っ張れるような存在ではないかもしれません。
    ただ、今までの経験を通じて、続けることの意味や挫折してもまた立ち上がる感覚は共有できます。それが誰かの心を少しでも軽くして、「もう少しやってみようかな」と思ってもらえる瞬間がつくれればなと思います。
    そして迷いながら続けているようなことでも、そのままの自分を見せることにより少しでも楽になって欲しいなって思います。同じように試行錯誤している仲間がいたら、「また何か挑戦しているよ」って言い合える関係でいたいなとも思います。
    それはあまりガツガツした関係でなく、『静かな関係』をイメージしています。自分は一方的に刺激をもらっているだけです。積極的にいろいろしているわけではありません。自分的には静かに活動している感じなので『静かな関係』と表現しました。
    でも今はこのぐらいの距離感がちょうど良いとも思っています。

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写真    アイアンマンレース@オーストラリア ケアンズの夕日

結び

    岩井さんへのインタビューを終えて、浮かんだことは『風林火山』という言葉でした。『風林火山』は武田信玄の旗で有名ですが、中国の孫氏の言葉と言われています。AI要約によると、『風林火山』は
疾(はや)きこと風の如く、
徐(しず)かなること林の如く、
侵掠(しんりゃく)すること火の如く、
動かざること山の如し
    意味は、「進むときは風のように速く、構えるときは林のように静かに、攻めるときは火のように激しく、守るときは山のようにどっしりと動かない」とのこと。
    岩井さんは、決めたことにすぐ行動し、静かにストイックにゴールに向かいます。その行動は力強く、心に熱がある。そして決めたこと、守るべきことはその意思を曲げない。
    岩井さんの10年間、耐え抜いた力とLabで出会った人と多くの経験をしたからこそ生まれたものだと思いました。さらなる岩井さんの活躍が楽しみです。

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写真    岩井さん地元の名士、”特撮の神様”円谷英二さんが生み出したキャラクター

@イワイヨシノリ さん、心が熱くなるお話しをありがとうございました!

今後もHonda Lab.メンバーへのインタビューを実施していきます。お楽しみに!

interview by
@みぃ @SHOTA  @しゅーへー @Norihito 
Text by @Norihito(桑原令人)