前編に引き続き後編でもユダヤ人との生活を通して学んだ彼らのサバイバルマインドを紹介したいと思います。


誰が言っているかではなく何を言っているか

イスラエルでは女性は2年、男性は3年の徴兵制があります。そんなこともあって、イスラエルに着いて最初に驚くことの一つは、可愛い女の子が軍服にマシンガンを持って街中を歩いていることです。自分がいた会社の女性の上司も戦車部隊で砲撃していたとか。

しかし、日本の軍のイメージとは違い、ただ黙って上官の指示に従うだけが兵役ではありません。もし、上官の言っていることが間違っている、もしくは他に良い方法があると考えるなら直接抗議するのが重要。言っていることが的を得ていれば認められれば即座に自分の意見を作戦に組み込まれます。

例えば、自分が仲良くしているイスラエル人は、二十歳そこそこの時にある重要な作戦の指揮を突然任されたそうです。日本だったら大学生です。ちなみに自分が二十歳の頃は格闘技と遊ぶことしか考えてなかった。。

年功序列は平和で安定的に経済全体が成長していくような時代なら組織をコントロールするのにピッタリです。しかし、誰も経験したことのないような状況やサバイバルな環境(例えばコロナ禍)では経験だけでは限界があります。なぜなら、これまで経験したことのない未知への挑戦が必要になるからです。

ノーベル賞を受賞したダニエル・カーネマンがイスラエル軍にいた時の研究では、経験は自信を高めはするものの、軍人としてのスキルを上げるものではないことを突き止めました。つまり、パターンが決まっているような専門的な分野や反復作業が重要な分野では経験は強みですが、ビジネスや戦場といった日々変化が激しい世界では経験は時として誤った判断の材料になってしまうということです。

だからこそ、イスラエル軍では誰が言ってるかではなく、何を言ってるかが問われるわけです。サバイバルのためには、有名とか偉いとか肩書きに惑わされず、物事の本質を見極めて判断することが必要だったのです。


-情報こそが最大のアセット(資産)
知り合いの紹介で自分の会社を1000億円で売却したというとてつもないイスラエル人に会う機会がありました。わーすげー何か教えてもいたいなーなんて呑気に考えていると、彼が放った最初の一言は「君は何語で話したいか?」

最初はユダヤ式ジョークかと思いましたが彼は超真剣。

というのも、その人はイスラエル以前のパレスチナに生まれ、生きるためにアラビア語とヘブライ語、大学教育を受けるためにドイツ語、ビジネスをするために英語や日本語など、ありとあらゆる言葉をマスターしていたのです。(ふつーに日本語も話せる!)

彼にとっては言葉とは生きるためのツールで、何カ国語を話せるとすごいとか、グローバル人材とかそういう次元の話ではなかったのです。言葉を話すとは目の前の人間と意思疎通を図ること。そのオプションが多ければ多いほど、自分が生き残る可能性が高くなる。この体験を通してユダヤ人にとっての情報や教育は私たちが考える意味合いと大きく異なることを身を以て感じました。


ユダヤ人は長い間迫害されてきた歴史があります。僕が住んでいるスペインにもかつてユダヤ人が沢山住んでいましたが、キリスト教に改宗するか国を出ていくかと突きつけられて沢山の人々が追い出されています。


形があるものは追い出される時に持ち運べなかったり奪われたりします。しかし、自分の頭の中にある知識や知恵だけは誰にも奪われることがありません。だからこそ、彼らにとって情報、そして教育は大事なのです。


大学で学ぶということに関しても年齢は一切関係ありません。多くの人が20代後半や30代で大学に行き、2つ3つ専攻を取ることも珍しくありません。最初はアメリカのように競争社会だから沢山学位を取るのかと思いましたが、沢山の人々と話すうちに学ぶことの重要さを認識しているからだと気が付きました。


イスラエルでの体験で学ぶことや知識を得ることの意味に気が付くことが出来たのでした。


ユダヤネットワークの極意

初めてイスラエルを訪れたのはスペイン留学時代のあるクリスマスのことでした。着いて間も無く格安ホテルに荷物を置き、街中の散策開始。美術館に行く途中で道に迷い、通りすがりの人に道を尋ねると親切に教えてくれたついでに互いの身の上話に。イスラエルに着いたばかりなこと。貧乏学生で安いホテルに泊まっていること。現地に知り合いもいないので一人旅なことなどなど。


すると突然、私の実家に泊まりなよ!皆歓迎するからさ!出会って20分のことだったので冗談かと思ったのですが、どうやら本気。早速翌日にその人の家に行くと家族も快く迎え入れてくれ、結局そのまま一週間も泊まることに。最初は出会った人がたまたま親切な人だと思っていたのですが、出会う人、出会う人から泊まってきなよのオファー。


似たような体験はスペインの大学院を卒業後、イスラエルに住み始めた際にも続きます。当初、家探しに苦労していると、元特殊部隊隊長CEOは来週からハネムーン行くからしばらく俺の家を使え!と働き始めたばかりの僕に自宅をまるまる委ねハネムーンに。その後も会社の同僚が、困ってるなら家に来い!とひたすら色んな人に助けられるのでした。


そんな彼らとの出会いは人脈に対する考え方を一変させました。ユダヤ人のネットワークが強いのは、本当に困った時に助けてもらえるからです。助けたら将来見返りがありそうだからではなく、困っているから見返りなしで助ける。そこにあるのは忖度や付き合いといったことではなく、助けるかどうかの選択だけです。長い歴史の中でユダヤ人にとっての「助ける」とは生死を分かつものだったのだと思います。だからこそ、困っている相手を目にして瞬時に助けの手を差し伸べられるのでしょう。


かつてスポーツの世界にいたことや、周りに芸能の仕事をする人が多かったことで、落ち目になった人や仕事が上手くいかない人の周りから、あっという間に人が去る様を幾度も目の当たりにしました。本当に困っている時に他人は冷たいのなんの。


なので、ビジネスやお金に超シビアなユダヤ人が、困っている自分を何度も助けてくれたのは心底驚きでした。付き合いや忖度は突き詰めれば自分の利益のため。損得なしで困っている相手を助けられるか。これこそがユダヤ人サバイブの真髄なのかもしれません。



前編・後編に分けて書きましたが書き切れてないことが沢山あります。また、ちょこちょこ書ければと思いますー!