第四十二弾は、現在、「美的リーダーズ」を運営し、数々のコミュニティの企画・立ち上げやプロジェクトディレクションに携わる土屋志織(@しおり)さんにお話を伺いました。HondaLab.のモデレーターでもあり、美容誌「美的」でコミュニティ運営の仕事を中心に活動しながら、ポッドキャストでの発信など、そのフィールドは多岐にわたります。そんな志織さんの中にある想い、これから表現してゆきたいものとは・・?



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新卒でアパレルのセレクトショップの販売員として働いた後、2014年よりメディアでのキャリアをスタート。10年以上にわたり、女性向けメディアの広告営業、編集、コミュニティ運営、芸能人、インフルエンサーのキャスティングに携わる。2019年よりフリーランスとして、複数の企業・メディアのコミュニティディレクターやブロジェクトディレクターとして活動中。プロジェクト型のディレクションを得意とし、媒体横断したタイアップやファンコミュニティの活性、イベントの企画運営、飲食領域のPR支援も行う。プライベートでは、不定期で料理イベントの開催、フラワーアレンジメント、料理家と配信しているPodcast番組のパーソナリティも務める。HondaLab.モデレーター。
◾️Podcast : ANOTHER  SISTERS
https://open.spotify.com/show/32PEr9vHPyLMlOheeZSyad?si=230a0bd3637946a6 

自分の直感を信じて、変化を恐れず動く生き方!

ーまず最初に、現在の仕事、これまでの経歴について教えてください。

 
   現在は、株式会社小学館の美的編集部でブランドコミュニティディレクターの肩書きで「美的リーダーズ」の運営を中心に、読者との関係構築を推進する仕事のほか、元証券会社に勤めていた方が主宰する金融アカデミーのコミュニティコンサルの仕事などを行っています。フリーランスとしては、6年目に入り、ありがたいことに、これまで仕事の多くを人との繋がりの中でいただいてきました。そのため、仕事で関わる領域の幅が広く「土屋さんは、何の仕事をしている人?」と聞かれることもあります。

    最初の仕事は、セレクトショップ「ナノ・ユニバース」での販売職でした。当時ZOZOTOWNで毎月1位・2位の売り上げを争う人気ブランドで、私は東京本店のメンズフロアに配属されていました。ファッションについてこだわりなく勉強したいと伝えていたところ、20人ほどの男性スタッフの中で、女性は私ひとりという環境でした。

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【ナノユニバース時代】
   ファッションに興味を持ったきっかけは、15歳の頃から読んでいた、主婦の友社の雑誌「GISELe」です。「GISELe」はアラサーをターゲットにしたファッション誌で、ターゲットと一回り違う年齢でしたが外国人モデルのスタイリングや独自の特集が面白くて毎月夢中で読んでいて。そこからファッションのことに興味を持ち、「自分もこういう世界に関わりたい」と思うようになりました。

    その想いから、ファッション系の女子大に進学したのですが、周りは全身ブランドで固めるような人が多く、「ここは自分がいる場所ではないかも」と違和感を感じ、実は3ヶ月で退学しました。その後、フリーターを経て、親に「何かしら学校を出なさい」と勧められて、専門学校に進学しました。簿記や販売士など、経理系の資格を学び、卒業後にアパレル業界に就職しました。ナノ・ユニバースを知ったのは、18歳頃。本当は流行をつくる側に立ちたくて、バイヤーになりたいと思っていました。ただ、働く中で会社全体の雰囲気や文化と、自分自身が大切にしたい働き方に差があると感じるようになり、1年半ほどで退職を決意しました。

やりたい仕事に向けて、転職、そしてフリーランスのはじまり

―その後、すぐに出版の世界に入られたのでしょうか?

    アパレルの会社を退職した後は、アパレルのマーケティング会社でアルバイトとして働いていました。駅ビルに入るショップのトルソー(マネキン)を撮影して流行を分析し、レポートにまとめるような仕事でした。ただ、“隠し撮り”のような業務に違和感を覚えてしまい、そのタイミングで、ずっと自分が愛読していた「GISELe」を刊行する出版社が求人を出しているのを見つけました。編集と営業の募集がありましたが、編集は倍率が高そうだと思った半面、営業であれば、販売員の経験も活かせるかもと応募したところ、なんと営業職の応募者が私ひとりだったそうで、そこから出版の世界に入ることになりました。

    最初は、ファッション誌の広告営業として、「GISELe」「Ray」「mina」「S Cawaii!」などを担当しました。ページ広告の営業にとどまらず、イベント企画やタイアップ提案なども担い、約4年間経験を積んだ後は、出版社が持つIP(知的財産)を活用する事業や地方自治体のプロモーション企画などの新規営業にも携わりました。この時は完全に会社員として働いていました。

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【主婦の友社営業マン時代・撮影で韓国にも】


―その後、転職を考えられた理由を教えてください。

    地方自治体との仕事を進める中で、地方の若者に焦点を当てたり、働く女性に焦点を当てたコンテンツ作りを行いたいという想いが強くなってゆきました。そんな時、音楽会社から声をかけていただきました。音楽会社が新規事業として「働く女性をテーマにしたイベント事業」を立ち上げるというお話で、面白そうだと思って入社しました。ところが、入社後、実際に任される仕事が当初聞いていた内容とは異なっており、「これは、私がやりたかったこととは違う」と感じ、心苦しい選択ではありましたが、なんと1ヶ月で退職してしまいました。

    その後、改めて転職活動する中で、マガジンハウスのHanako編集部の方から声をかけていただきました。Hanakoの読者コミュニティ「ハナコラボ」のディレクターを探しているという話で、当時のHanakoは、ライフスタイルに限らず、働き方や学びなど、新しいテーマも積極的に扱っていたので、自分のやりたいことと重なる気がしました。また、以前お世話になっていた主婦の友社で編集長も務めていた先輩からのお誘いでもあり、即答で「やらせていただきたいです!」と答えました。
    ここから、業務委託という形で働き始め、結果としてフリーランスとしてのキャリアがスタートしました。独立を目指してというより、流れでそうなったというのが正直なところです。

―志織さんの「行動の早さ」は昔からでしょうか? 「違う」 と感じたら切り替える決断が早いタイプなのでしょうか。

    ずっとそうです。昔から、直感で動くところがあります!基本的に、自分自身の感覚を大切にしていて、「しっくりくる・こない」が判断軸になっています。
ただ、ここ数年は「コミュニティの仕事もやっていく」と決めたことで、ありがたいことに企業などから「コミュニティを立ち上げたい」といった相談をいただく機会も増えてきました。実際に話をきいてみると「今はまだ立ち上げるタイミングではないな」というケースもあり、直感に加えて「慎重さ」も以前より必要だと感じています。

ハナコラボの仕事で芽生えた「コミュニティ」という視点

ー「ハナコラボ」は、0→1での立ち上げだったのでしょうか。

    実は私が携わった時で立ち上げ4年目だったんです。ただ当時は「読者コミュニティ」といった認知も低く、自分の中でもコミュニティという言葉の意味も、十分に掴めていないまま始めたというのが正直なところでした。

    Hanakoはライフスタイル誌として幅広いテーマを扱っていたので、パンが好きなバイオリニストの方が連載を持っていたり、バーに精通してる方にバーテンダーの発信をいただいたり、ホテル暮らしをされてる方にはホテルを記事でご紹介いただいたりと個性豊かな方が多く集まっていました。まずは、そういった方々の原稿が記事になるまでのディレクションを行って、コミュニティ運営と編集の仕事を半分ずつやっている位置付けでした。2019年秋に前任者から業務を引き継ぎ、程なくしてコロナ禍に突入しました。動くことが制限された状況の中で、「今自分ができることは、何なんだろう?」と考え始めたのが、コミュニティという視点を持つようになったきっかけだったと思います。

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【マガジンハウスでの仕事。コロナ渦はオンラインでのイベントも多数行っていました】
―意識が変わったとき、最初に始めたことは何だったのでしょうか。

    最初に着手したのは、緊急事態宣言の期間中にインスタライブをやることでした。私がハナコラボに関わったタイミングでは、数字を強く求められていたわけではないのですが、彼女たち -コミュニティにいる魅力的な女性たちを、企業との広告案件でより活かしていくことがひとつのミッションとしてありました。

    一方で当時は、「ハナコラボ」という名前自体がまだ世の中に知られていない状態でした。コロナ禍でSNSを見る時間が増えていたこともあり、「まずは存在を知ってもらわないと始まらない」という思いでライブ配信に取り組みました。
ハナコラボには本当に面白い方がたくさんいたので、その魅力をそのままライブで伝えたいと思っていました。例えば、料理家さんとオンラインで一緒に料理をしたり、ヨガインストラクターさんとヨガをしたり、オンラインが当たり前になった今とは違い、当時はとにかく必死でした。「こんな人がいるんだよ!」というメンバーの紹介をまずはひとつずつ積み重ねていきました。
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【コロナ期間中の料理イベント・Zoomを使いながらインスタLIVEでも配信】
    同時に、メンバーが何に困っているのかをオンラインで話しながら探って行きました。そこからオンラインの定期イベントを企画したり、学びの場づくりにもつなげていきました。ハナコラボのInstagramでは、テーマを設定し、メンバーからテーマに合わせた文章と写真で送ってもらってアップしたりして、少しずつコミュニケーションを重ねて、距離を縮めていきました。
    結果として、コロナ禍という状況も大きかったとは思うのですが、「社会人になって初めて友達ができた」「会社以外で安心して集まれる場所ができた」といった声を多くいただき、「ここに来たい」と思ってもらえる場所をつくれたことが本当に嬉しくて、自分にとって一番のやりがいになっていました。

    私自身もフリーランス1年目で、不安が大きかった時期だったからこそ、「まず大切なのは、人とのコミュニケーション」だと思っていました。そこから何か始まるんじゃないかと当時は思っていました。
    今、振り返ってもHanakoでの仕事が現在の私に大きく影響しているのは間違いないと感じています。もちろん全部がつながっているのですが、「現在の自分に影響を与えた仕事は?」と聞かれたら、やっぱり「Hanako」です。

「安心できる場」をつくるための、誠実なコミュニケーション

―仕事でもプライベートでも大事にしていることはありますか。

    大事にしているのは「コミュニケーション」です。そのコミュニケーションもただ話せばいいということではなく、「誠実さ」、「きちんと伝えること」、あとは「余白」だと思っています。言葉にしすぎず、少しゆとりのある関わり方をして、「安心できる場」「安心して話せる人」だと思ってもらう、そういった関わり方を大事にしています。
     実は、高校時代、40人ほどのギャルが所属するダンス部で部長をしていました。みんなが楽しめるように、自分があえて「バカになる」ことを覚えた時期でもあります。そこから、人が安心して関われる空気づくりを常に考えるようになったのかもしれません。ハナコラボの仕事をしていたときも、その感覚は役に立ったと感じています。

    また、コミュニティには、著名な方やインフルエンサーだけではなく、一般の会社員の方なども多く在籍していました。自分自身は、読者の方がいるから雑誌が成立している、読者はある意味一緒に企画をつくっていく”仲間”という気持ちをずっと持っていたので、安心して関わっていただけるよう、余白や間を意識するコミュニケーションを意識していました。匿名の誹謗メッセージや、インフルエンサー間での案件重複など、時代の変化とともに新しい課題が生まれることもありましたができる限り誠実さを軸にした対応を徹底していたことで、運営中も大きなトラブルはほとど起きませんでした。

コミュニティマネージャーという仕事を広げる次なるステージへ 

ーそこから仕事の幅を広げて行った経緯について教えてください。

    当時、まだ「コミュニティマネージャー」という呼び名が今ほど浸透していないときでない頃、久しぶりにナオ(@Nao )さんにお会いし、話をしているうちに「私がやってきたのは、コミュニティマネージャーという仕事なのかもしれない」と気づきました。
     コミュニティ運営を経験したので、今度は「立ち上げ」にも挑戦し、コミュニティ運営のプロになってみようと思うようになりました。そのタイミングで、Hanakoの編集方針が変わったこともあり、次の場所を探し始めました。

    そこで出会ったのが、朝日放送テレビが運営するライフハックメディア、「Onnela」でした。「Onnela」が次のフェーズに進むべく、ユーザーやインフルエンサーとの接点を持ちたいということと、関連するテレビ番組のコミュニティを立ち上げの話も持ち込み、業務委託でジョインしました。同時期に、Hanakoを通じてお仕事をご一緒していた方の紹介で、世界のベスト・バーのアジア50のにも入る「Bar LIBRE(バーリブレ)」の広報・SNS運営も担当することになり、少しずつ仕事の幅が広がっていきました。

    ただ、準備を進める中で、「今はまだコミュニティを育てるタイミングではないのかも」と感じる場面もあったり、社内の調整が必要な部分も多く、番組初のコミュニティ企画は最終的には見送りになり約1年半ほどで区切りとなりました。
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◾️Bar LIBRE(バーリブレ)
(池袋)

(銀座)
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Photo by AKI OONISHI
【Bar LIBRE(バーリブレ)】
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【朝日放送テレビで放送する料理番組「DAIGOの台所」のファンイベント、オンライン料理教室】©ABC TV
    テレビ局の仕事に難しさを感じ始めた頃、主婦の友社時代の先輩であり、美的のウェブ編集長から声をかけていただきました。「Hanakoでの経験を美的でも活かして欲しい」と。二足の草鞋になるけれど大丈夫かどうかを相談したうえでジョインし、そこからテレビ局と美的の両方の案件を担当する働き方になりました。
    他にも短期プロジェクトとして、コンサルティングファームの案件にも参加していました。大手企業が運営する、複数企業が集まるオフィスを活性化するためのコミュニティづくりの施策の提案に関わりましたが、こちらもプロジェクト自体が途中でクローズとなってしまいました。
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【abcクッキングスタジオの新規事業、料理クリエイターが集まるコミュニティ「studioB」の立ち上げ手伝いも】
    コミュニティの仕事は、多方面でニーズが高まっていると感じているのですが、実際には進めていくことが非常に難しいと感じています。場をつくるだけではなく、運営にもコストや時間がかかるため、短期で結果が見えづらい分、継続する難しさもあり、そこが課題だと思っています。
    一方、美的の場合は、「少数精鋭のインフルエンサーコミュニティ」という目的が明確で、広告案件との連携も増え、来年はさらにメンバーが増える予定です。
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【美的リーダーズのみなさまと】◾️美的リーダーズ    :    https://www.biteki.com/blog/biteki-leaders/

「ありたい姿」に向けてーしなやかに表現を広げてゆくー

― 仕事、プライベート含め、今後どのようなことをしてゆきたいですか?

    Hanakoに関わり始めた頃から「誰かの背中をそっと押せる人でいたい」と思っていて、そこは今でも変わりません。女性向けコンテンツに関わることが多かっただけで、サポートしたい相手は男女関係なく「人」です。
    フリーランスの仕事をする中で、自分は「手に職」というタイプではないとずっと思っています。周りにはフォトグラファーやネイリスト、料理家など専門性の強い方が多いので、そこに少しコンプレックスがありました。もちろん「何者かになる必要はない」と思いつつ、自分の軸をどう作っていくかはずっと考えています。でも、周りからは「志織さんにしかできない仕事だよ」と言っていただけることも多いので、その「色」をもう少し強くしたい、というのが今のテーマです。

     昨年から今年にかけては、住んでいる学芸大学駅近くの新しい商業施設で、ポップアップのディレクションを担当したことも印象的でした。これまでの経験がすべて繋がりそうでワクワクしながら取り組んでいたのですが、様々な事情で企画自体が一度ストップすることになってしまいました。ただ、自分の中で「要素がひとつに集まる瞬間」はとても面白いと感じたので、また挑戦したいと思っています。

    他には、ワインや焼酎をもっと勉強してみたいです。海外にも興味はありますが、ここ数年でスペイン・フランス・ポルトガル・ロンドン・ベルギーなどいろいろ行ったので、今は少し落ち着いているのかもしれません。

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【学芸大学駅高架下事業のお手伝い】
―憧れの方や参考にしている方はいらっしゃいますか。

    ブランディングディレクターの行方ひさこさんは本当に素敵な方だと思います。しなやかで、女性としてもとても魅力的な方です。私は相手が安心できるように、つい自分から明るく振る舞うタイプなのですが、行方さんには「しなやかさ」があって憧れます。働き方も素敵で、アパレルブランドの運営からキャリアが始まり、今はブランディングディレクターとして様々なジャンルのプロジェクトに関わっていたり、伊勢丹でのご自身のポップアップなども手掛けていて、本当にかっこいいなと思います。

    また、憧れという言葉が正しいかは分かりませんが、「自分の意見をきちんと伝えられる人」にも惹かれます。私はどちらかというと場を和ませたり、人の話をじっくり聞くタイプなので、自分の考えをさっと話せる人や前に出ていく人を見ると、素直にすごいと思います。自分もそうなりたい、というよりは、尊敬に近い感覚です。
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【憧れの「行方ひさこさん」とお仕事をした時】
―ご自身の強み、今後深めていきたい部分はどこにあると感じていますか?

     私はこれまで、ブランドと編集部、インフルエンサーと企業など、人と人の“間”に入り、双方の想いを整えていく役割を多く担ってきました。例えば、企画の中でモデルさんに着てもらうメインの服の色を、自分の心の中では「青がいい」と思っても、企業からは「赤」を希望され、反対に編集部として読者に刺さりそうなのは「黄色」といった意見がある中で、私に求められることはそういった両者の想いを調整して形にするということも少なくありません。そんな調整力や通訳のような役割を強みだと思う反面、だからこそ、プライベートではお花や料理のように、自分の世界観を素直に出せるものに惹かれるのかもしれません。

    最近は、「志織さんって何をしている人なんですか?」と聞かれることも増えました。美容に関わる仕事をしていても、専門家ほど詳しいわけではありません。だからこそ、自分自身の強みをもっと明確にしたほうがいいのかなと感じています。
料理が好きなこともあり、最近は、「食」もしっくりくるのかもとも考えています。料理をしている理由は、自分の料理を出したいからではないんです。その場に集まる人たちが楽しんでつながっていく様子を見るのが好きだからです。スナックホンダでも裏方に近い形で動いていたのですが、人が集まる場を心地よく整えるのが好きなんだと再認識しました。

自分自身が雑誌の現場などで見てきたものや培われた感性はあると思うので、いずれ「自分の表現」を形にすることに挑戦してみたいと思っています。料理やお酒、場づくり、そして人と人をつなぐ役割。そのあたりに、自分らしさのヒントがあるような気がしています。
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【「#しおりめし」イベントでふるまわれる料理の数々】
―Honda Lab.に入って変化したことはありますか。

    まず、これまで出会わなかったジャンルの方たちと関わるようになったことは大きいです。私は長く、女性向けの仕事が中心だったので、Honda Lab.で男性の視点に触れたり、さまざまなジャンルで活躍する方たちの働き方を見ることができるのは刺激的です。

    Honda Lab.から繋がったご縁も多く、京都の大好きなお店があるのですが、その方が実は「Lab. メンバーだった」という偶然もありました。後藤夫妻ともご縁がつながって、「GO-TO WINE」で「#しおりめし」のイベントを開催するようになりました。今後も定期的に続けていければと思っているので、気軽に来てもらえたら嬉しいです。そして、私自身、後藤(@Yoshiki )さんがインポートするワインが本当に好きなので、ニューヨークワインの魅力もぜひ知ってほしいと思っています。

   そしてもうひとつの変化は、「稼ぎたい」という意識が自然と芽生えたことです。Honda Lab.には自分の道で活躍されている方が多い環境だからこそ、自然と意識が変わった気がします。現実的に、稼がなきゃできないことをしている方もたくさんいるので、「私も頑張ろう」と思える環境なんだと思います。
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【GO-TO WINE    「#しおりめし」のイベント終了後、後藤さん達との記念写真】
ー最後に、HondaLab.の皆様へメッセージをお願いいたします。

    「この人、何の仕事してるんだろう」と思っている方も多いと思うのですが、コミュニティ運営や編集、PRなど、女性向けのコンテンツを中心に幅広く携わってきました。もし何か相談があれば、遠慮なく声をかけてもらえるとうれしいです。イベントではちょっとおちゃらけて見えるかもしれないんですけど、ちゃんと仕事もしていますので(笑)。
 
   ファッション、ビューティ、ライフスタイル、グルメ、そして女性の転機に寄り添うような企画など、引き出しは意外と多いと思います。もし何か一緒にできることがあれば、気軽に相談していただけたら嬉しいです。




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今回の「Honda Lab. SPOT LIGHT」では、コミュニティ運営にとどまらず、編集・PR・企画など幅広い経験を持つ志織さんにお話を伺いました。
自身の直感を大切に軽やかに行動しながらも、変化にしなやかに向き合う姿、その裏にある熱量と誠実さが、とても印象的でした。
@しおり  さん、貴重なお話をありがとうございました!

今後もHonda Lab.メンバーへのインタビューを実施していきます。お楽しみに!

interview  @みぃ
Text by     @みぃ  (細井美里)
Support    @SHOTA  @Norihito