第43弾は、現在    金継ぎワークショップの主宰をされており、金継ぎアーティストとしても活躍の場を広げている小熊 綾(@綾 )さんにお話を伺いました。HondaLab.でもイベントを立ち上げたり、blogも積極的に配信されている要注目の綾さんです。そんな綾さんのこれまでのキャリアや何が綾さんを金継ぎに向かわせているのかお聞きしました。

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金継ぎワークショップ主宰/金継ぎアーティスト
学生時代の飲食店アルバイトを通じ、接客や人と関わる仕事の面白さを知り、営業職や凸版印刷での営業事務など、さまざまな職種を経験。ベトナム・ホーチミンへ移住後、現地でバイク免許を取得し、自ら配達も行う団子屋を始める。帰国後は国内ITベンチャー企業で海外エンジニア採用や人事企画に携わった。
    帰国後「うつわ御結」を運営する古くからの友人・しげに再会したことをきっかけに、金継ぎについてリサーチ。
    その過程で、海外で金継ぎが精神性を重視して受け取られていることに衝撃を受け、「もし自分があの時、この考え方を知っていたら」と、多くの人に伝えたいと感じ、開講を実現。試行錯誤を重ねながら改善し、現在はピーク時にほぼ毎日1〜3クラスを開催し、金継ぎを軸に活動を展開中。2025年インバウンド向けワークショップでは累計約540名超のゲストを迎えた。その他 海外アーティスト(主にイタリア・シチリア)との共同制作を推進、ミラノ、パレルモ、大阪万博での展示・パフォーマンスを実施。
【Instagram】 https://www.instagram.com/jka_aya/
【HP】

金継ぎ講師からアーティストへ -現在の活動

――現在のお仕事について教えてください。
メインは金継ぎの講師です。
うつわ御結(おむすび)のショールーム「HANARE」を拠点に、インバウンド向けのワークショップを中心に、企業研修やレストラン向けのワークショップなどを行っています。
  ワークショップでは、ただ技術を教えるのではなく、金継ぎを通して、日本人が大切にしてきた、ものとの向き合い方や価値観にも触れてもらえたらと考えています。
 参加される方にとっては、もしかしたら一生に一度の訪日になるかもしれない。だからこそ、この時間が心に残るものになれば嬉しいです。
 また、御結では、イベントや制作物の企画、問い合わせ対応など、球拾いのような役回りで何でもやっています(笑)。
金継ぎはあくまで手段で、その奥にある人を勇気づける価値が伝わればいいなと思っています。

欧米から熱視線!インバウンドワークショップの魅力

――どんな方が参加されますか?
欧米の方が多いですね。ピーク時だと1日に2〜3組。旅慣れた方が多い印象で、観光地化された場所よりも「自分だけの特別な体験」を求めて来られる方が多いように感じています。
ワークショップで使う器は、御結で手配しています。
配送中などに割れてしまった器を、作家さんや窯元にお願いして用意することもあるので、もったいない精神についても理解が深められます。完成した器は、旅の記憶とともにお持ち帰りいただいています。
参加者の中には、茶道や華道など、ひとつの訪日で複数の文化体験をされる方もいらっしゃいますが、最近は、金継ぎそのものを知った上で、私のワークショップのページを見て、「精神的な話が聞けそうだから」と目的を持って参加される方が増えてきた印象があります。
ご自身の経験や価値観を重ねながら向き合ってくださる方も多く、完成した器以上に、その時間そのものを大切にして帰られるように感じています。

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亡くなったお母さまがつくってくれたペンダントトップを持参した参加者

『壊れ』と『再生』を体験する、哲学的な時間

―ワークショップの特徴は?
技法以上に、金継ぎの背景にある考え方や精神性を大切にしています。
割れや欠けを「失敗」として隠すのではなく、「物語」として受け止めること。
参加者の中には、金継ぎを通してご自身の人生を重ねて受け止められる方も多く、
形見を直される方や、特別な思いのこもったものを持ち込まれる方もいらっしゃいます。
涙される場面に立ち会うことも、決して珍しくありません。
以前、亡くなったお母様が作ってくれたペンダントトップを持参された方がいました。
「これを直したら、きっと喜んでくれると思う」と話されていて、仕上がった瞬間のその方の表情が、今でも強く心に残っています。
 こうした時間に立ち会えることが、この仕事を続けている理由のひとつです。

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ワークショップでのスライドの1枚
・傷は、私たちの強さの一部になりうるということ
・どんな小さな一歩も、やがて何かに繋がっていくということ
・そのままの自分でいていいということ―私たちは皆、ありのままで受け入れられているということ

タクシーで割れた壺が万博への切符に

―大阪・関西万博イタリア館に参加された経緯がユニークですね。
もともとワークショップに来てくれた方とのご縁です。持ち込み修復で5時間一緒に過ごして仲良くなったのですが、リュックから「割れちゃったんだけどこの壺直せる?」と壺を取り出し相談を受けて、「できるかわからないけどやってみる」と一年掛けで修復中に「万博、興味ある?」と聞かれ、出展が決まりました。偶然の積み重ねが大きなチャンスになるって、人生って面白いですよね。イタリア館での展示は、金継ぎが国境を越えて人と人をつなぐ力を持つことを実感しました。

書道・漆芸・料理…すべては金継ぎに繋がる

――他にも学んでいることが多いですよね。
書道は、御結で手紙やのし書きに役立つだけでなく、金継ぎにも生きています。もちろん、金継ぎ自体も学校で勉強を続けています。料理も、器の撮影で盛り付けが必要になるので、ナオさんに紹介いただいた料理教室に通い始めました。
また、各地の美術館などにも足を運び、歴史や芸術についても幅広く学んでいます。どれもアウトプットに直結しています。
実は、ワークショップを始めた当初は、ほぼ素人に近い状態でした。
 「やりたい」と頼み込んで機会をもらい、そこから猛スピードで学びました。
 英語でのプレゼンも、最初は台本を作って暗記するところから。ゴールを先に置き、走りながら帳尻を合わせるタイプなんです(笑)。
こうした学びを通して、まず自分自身が理解し、納得したうえで、背景や意味も含めて伝えられる状態を目指しています。

焦りと模索の時代 ― ベトナムで団子屋も

――以前はどんな仕事を?
ブラック企業や保険会社、保育士など様々な職種を経て、凸版印刷での勤務後、結婚・出産を機に退職。その後はチャットボット関連企業で人事を担当し、海外人材へのスカウト業務などにも携わった。

自分にしっくりこない時期も長く、短大に通い直したり、手に職をつけようと習い事をしてみたり試行錯誤を重ねてきた。ずっと「まだ自分じゃない」という感覚があったと思う。

団子屋を始めたのも、駐在妻という社会の歯車になれない生活の中で、自分なりに居場所をつくる必要があったから。今でもふと思い出し、自分を奮い立たせることがあります。

離婚の決断に込めた『自分がハッピーであること』

――離婚という大きな決断もありましたね。
子どものことを考えて、迷いがなかったわけではありません。
 それでも、自分が納得して生きていなければ、息子たちに自分の人生を生きる姿を見せられないのではと感じ、我慢を重ねる生き方ではなく、自分の人生を引き受ける選択をしました。
 そのうえで、子どもたちのことは必ず幸せにする。その覚悟は揺らいでいません。
決断の基準はシンプルです。
 「やらないよりやる」「ワクワクしないならやらない」。
 仕事でも、この感覚を大切にしています。

車椅子の少年がくれた涙の瞬間

――印象に残るワークショップのエピソードは?
車椅子の少年が参加して、プレゼンの後にお母さんに『ね?僕が聞きたかったのはこれなんだよ』って言ったんです。お母さんと一緒に泣きました。こうした瞬間に立ち会うたび、この仕事を続ける意味を実感します。
人の人生に触れる責任は大きいですが、それ以上に、やりがいを強く感じています。

人生は川のように ― 未来は決めない方が面白い

――今後の展望は?
人生は川みたいなものだと思ってます。流れに身を任せつつ、決断は自分で。5年後10年後をガチガチに決めるより、見えないからこそのワクワクを大事にしたいです。

もちろん、やりたいことはあります。英語のコーチングを受けて、もっと海外に発信できるようになりたいし、アート活動も広げたい。でも、最終的には『流れに乗る』。それが私のスタイルです。

金継ぎで勇気を届けるアート活動

――アーティストとしての活動は?
手元に置けるサイズのものに金継ぎして、視界に入るたび、勇気をもらったり背中を押されるような作品を作りたいです。
金継ぎは単なる修復技術じゃなく、メッセージを込められる表現方法。壊れたものを美しくすることで、人の心も少し軽くなる。そんな作品をもっと届けたいです。

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イタリアへの旅の1コマ:シチリアでのワークショップ

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アーティストとしての活躍:ミラノでのアーティストショーケース

父から受け継いだ『できるかわからないけどやる』精神

――お父さんの影響も大きいとか。
父も『(できるかわからないけど)できます』って言って大きな仕事を掴んだ人だったようです。大人になり、何の仕事をすれば自分に合うのかと相談すると『何がお金になるか考えなさい』と言われた事を今でも思い出します。若い頃は社会不適合者って冗談で言われてたけど、今は肯定の言葉だと思ってます。枠外にこそ可能性があるんですよね。

父の背中は今でも私の指針です。彼の娘でなかったら、万博にも出てなかったと思います。

母のことと「もっと楽しんでいいんだ」という感覚

――以前、「53歳までに終わる」という感覚があったと話されていましたね。
はい。母が亡くなった年齢が53歳で、その数字がずっと頭にあって、人生のリミットのように感じていました。トラウマのように心に残っていて、焦ったり、諦めたりしてしまうことが多かったと思います。
――その感覚は今もありますか?
最近は、だいぶ薄れてきました。ラボでの出会いや、日々のワークショップでの対話を通して、「もっと未来を見てもいいんだ」と思えるようになったり、少しずつ自分の中で癒されてきた感覚があります。
パートナーの存在も大きく、自然と長生きしたいと思うようになり、少し先の生き方を考えるようになりました。2026年には、そこに繋がる大きな挑戦に挑む予定です。

応援する力で、人を前に進めたい

――ご自身をひと言で表すと?
誰かを勇気づける人、でしょうか。
人は、応援されると一歩前に進める。その背中を、そっと押せる存在でありたいと思っています。
私自身、これまでたくさんの人に支えられてきました。
 その恩を、金継ぎの仕事や、言葉を通して返していけたらと思っています。

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作品の一つ

最後の晩餐は『誰と食べるか』がすべて

――最後の晩餐に食べたいものは?
お鮨かな?でも正直、最後なら何を食べるかより、誰とどんな空間で食べるかが大事です。笑って過ごせる時間を過ごしたいですね。

Honda Lab.のみなさんへのメッセージがあれば?

ラボに入ってから、自分のスピードが一気に上がった気がします。誰か一人のおかげというより、日々のちょっとした会話やブログ、スモールトークから勇気をもらいました。『あ、頑張ってるな。私もやってみよう』って思える瞬間がたくさんありました。
最初はFTの会場のお店に入ることすら怖くて、帰る理由を考えていた自分が、今こうして前に進めているのは、ラボのみなさんのおかげです。無言が怖くて喋り続けちゃうタイプですが(笑)、ここでは安心して自分を出せました。
これからも、流れに身を任せながら、出会いを大切にしていきたいです。応援してくれる人がいるって、本当に心強い。私も誰かを勇気づける存在になりたいと思っています。
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今回の「Honda Lab. SPOT LIGHT」では、これまでの様々な経験をいかしつつ、金継ぎの世界に飛び込んでいった綾さんにお話を伺いました。
傷は、私たちの強さの一部になりうるということ
どんな小さな一歩も、やがて何かに繋がっていくということ
そのままの自分でいていいということ―私たちは皆、ありのままで受け入れられているということ
これらのメッセージが綾さんの金継ぎの活動のメッセージなんだと理解できたのと同時に2026年の大挑戦が気になるところです。
@綾 さん、貴重なお話をありがとうございました!

今後もHonda Lab.メンバーへのインタビューを実施していきます。お楽しみに!

interview  @わか @みぃ@SHOTA @Norihito
text by   @わか
Support @みぃ @SHOTA @Norihito