第44弾は、金久保 宏旭さん(@ヒロ)にお話を伺いました。
「自分らしく生きる」ための余白をデザインする。
-元商社マンが見出した、新たな貢献のカタチ-
ビジネスの最前線、鉄鋼貿易の世界で戦ってきた男が、なぜ今、地方の田んぼで土に触れ、都会でタコスを作り、スタジオで呼吸を整えているのか。元商社マンヒロ。彼の転身は単なるドロップアウトではない。それは、自分の人生における実験を少しずつ社会へと開いてきたプロセスであり、新しい「貢献」のカタチだった。
いまの彼の根底にあるのは、「誰かが何かやりたい、変えたいと思っていること、そこに一歩踏み出すきっかけ(入り口)を作りたい」という一貫した想いだ。正解を与えるのではなく、答えを教えるのでもない。ただ、立ち止まれる「余白」をつくること。小さな行動の変化が生まれる“入り口”を用意すること。
自らの経験を社会に還元しようとする彼の「過去・現在・未来」に迫ります。
鉄を売る日々の中で触れた「命の機微」
商社時代、鉄鋼製品の貿易に奔走し、世界を相手にタフな交渉を重ねていた。同僚や取引先に恵まれ、日々の仕事に夢中になっていた。
しかし、駐在先のメキシコで人生のベクトルを大きく変える事態に直面する。妻の体調不良。それが全ての始まりだった。
最初に向き合ったのは、食事だった。 代替療法や栄養学、食事療法について徹底的に学び、体の中に入れるものを一つひとつ見直した。可能な限りナチュラルなものを選び、加工食品を減らし、 野菜は農家から直接買うようになった。その変化は、確かに体に現れた。妻の体調は少しずつ回復し、目の前で「食べ物が体をつくる」という事実を実感する。それは知識としての理解ではなく、体験としての確信だった。
この経験は、彼の価値観を大きく変える。鉄鋼貿易という世界から飛び出し、全く異なる分野である「食の世界」へと足を踏み入れる決断をしたのだ。本質的に体が喜ぶ食べ物を、多くの人に届けたいという想いからだった。また、「祖父の死」も商社を辞める後押しとなった。「人はいつか死ぬ」、ならば自分が本当に納得できる生き方をしたいと思った。
「食のルーツ」を求めて-農業ベンチャーでの経験-
食を扱うなら、机上の知識だけではなく、実際の現場を知る必要があると考えた。そこには、商社時代に培われた「現地現物」という自身の行動指針があった。ネットの情報理解ではなく、実際にその場所に足を運び、人と出会い、五感で感じる。
メキシコから帰国後、すぐに農業ベンチャーに関わるようになった。地方と都市をつなぐ仕事を通して、農業の現場、地域の暮らし、生産者の営みを、「情報」ではなく「体験」として知っていった。
自分でも田んぼを借り「米づくり」にも挑戦している。土に触れ、作物が育ち、季節が巡り、収穫、食材として食卓に届く。その一連のプロセスを現場の時間感覚の中で体感した。
そこで見えてきたのは、単なる産業としての農業ではなく、「暮らし」そのものだった。時間の流れ、人との距離感、自然との関係性。それらは、効率や合理性とは全く異なるライフスタイルだった。ここでの経験は、彼の生き方にまた一つ新しい視点をもたらすことになった。
食だけでは、変えられないもの
「食べ物が体をつくる」という事実を、理論ではなく体験として理解していった。その結果、妻の体調は着実に回復していく。 目に見える変化があり、確かな手応えがあった。だからこそ、彼にとって「食」がもたらす影響はは確信に変わった。食を変えれば、体は変わる。環境を変えれば、人は変わる。そう信じていた。
しかし、ある時期から、妻の回復が停滞する。そこで初めて、「別の領域」の存在に向き合うことになる。それが、「心」だった。
きっかけは、妻自身の変化だった。自分の過去と向き合い始め、幼少期の体験や、親子関係、 「こうあるべき」という思考の癖に目を向けていった。対話を重ねる中で、その内面の構造が、体調に影響していることが見えてきた。
さらに話をしていく中で、妻は夫婦関係の中でも、無意識のプレッシャーを抱えていたことに気づいていく。一番近くで寄り添い支えているつもりだった。しかし、実は一番大きなストレスを与えていたのは、彼自身だった。妻との対話の中で、自身も自分の内側と向き合うことになる。
過去の経験、思考の癖、役割意識、無意識の選択。それまで「当たり前」だと思っていたものが、 少しずつ問い直されていった。このプロセスを通して、彼の中に一つの認識が生まれる。人は、外側(環境)だけでは変われない。自分の内側と向き合わなければ、本当の変化は起きない。
それは理論ではなく、最も身近な関係性の中で体験した「現実」だった。同時に、周囲にいる多くの人たちの姿とも重なっていく。忙しさの中で、立ち止まる時間がなく、自分と向き合う余白がない。気づかないまま我慢を重ね、ストレスを抱え込み、心と体のバランスを崩していく。その構造は、自分たちだけの問題ではないことにも気づいていった。
こうして彼の中で、「健康」の定義が変わっていく。それは、体調の良し悪しを語る言葉ではなく、「生き方そのものを映す概念」だった。食べ物も、その時に自分の身体が欲しているものに耳を傾けることが大事だと、今は思っている。心と体、内側と外側、思考と行動。そのすべてがつながっているという感覚が、ここで初めて一本の線になる。
コミュニケーション・フードとしての「タコス」
ヒロさんの代名詞とも言える「タコス」。単に美味しい料理を提供するだけでなく、そこに「体験価値」を見出してる。タコスを始めたきっかけは、ただ、自分が食べたかったからだと語る。本場のタコスを熟知し、日本でもその味を求めたが身近に食べられる店がなかった。それなら自分で作ろう!そこからタコスの取り組みは始まった。たまたまそのタイミングでタコス教室が開催されることが分かり、初めて料理学校に通った。実際に自分で作ってみたら、やはり美味しかった。これだ!
その後、日頃から体のメンテナンスをお願いしているドクターにこの話をしたところ、「うちでイベントをやるから、タコスを作ってほしい」と声をかけられた。それが、彼にとって初めてのタコスイベントだった。ただ「楽しいからやってみた」。その純粋な動機だけがあった。だが、その一歩がきっかけとなり、自然と次の流れが生まれていくことになる。
(初のタコスイベント@葉山)
それ以降、ラボのパーティーや、@Kei さん、@Yoshiki さんのお店とコラボしたり。また、農業ベンチャーの頃につながった地域へ出張タコスしてお世話になった農家さんの野菜を使ってみたり、@DAISUKE-HI さんのイベントでは、初めて飲食店でのお客様へのフード提供をやらせてもらったり。「本当に全てのご縁に感謝です。」
-タコスは『コミュニケーション・フード』なんです-
そう語る彼にとって、タコスは単なる料理ではない。家でタコスを食べる時、焼きたてのトルティーヤと色鮮やかな具材とサルサが食卓を盛り上げる。あとは各自がお好みのタコスを作る。そのプロセスそのものが、自然な会話を生み、関係性を育てていく。料理というよりも、「時間」や「場」を共有するための装置に近い。家族と食べれば、いつもの食卓が少し特別になる。友人と囲めば、記憶に残るひとときになる。特別なイベントではなく、日常の食事が非日常へと変わる。それが、タコスの力だ。
象徴的な取り組みがある。昨年、父の日の2週間前に開催したタコス教室だ。「父の日の主役であるお父さん自身が、家族にタコスを振る舞う」という企画だった。後日、参加した男性から「パパのタコスが、子どもの思い出になった」という声が届いたという。
「自分のことのように嬉しかったですね。これこそ、自分がやりたかった料理の形だと感じました」
その姿勢は、食材選びにも貫かれている。北海道・十勝の放牧豚、自身も関わった自然栽培の作物など、「体に良いもの」を妥協せずに選ぶ。イベントでタコスを提供するだけでなく、家庭で料理をする“きっかけ”を届けたい。その想いから、「お家で作れるタコスキット」の開発構想も進んでいる。
そして、タコスを通してもう一つの気づきがあった。かつてメキシコに住んでいたという、「ただの人生経験」。その経験が誰かを喜ばせている。特別な才能やスキルがなくても、自分の人生そのものが、誰かの人生の喜びになりうる。タコスは、彼にそれを教えてくれた。
挫折が教えてくれた「バランス役」としての強み
彼の柔和な雰囲気からは想像しにくいが、少年時代にはジャイアンのような振る舞いで周囲を威圧し、結果として一斉に仲間外れにされるという壮絶な孤独を経験したという。一時は絶望したものの、その経験が彼を「周囲を観察し、組織のバランスを取る」という現在の強みへと導いた。
-「かつての僕は周りが見えていなかった」-
だが、あの痛みを知ったからこそ、今は人がどう感じているのか、組織の空気がどう流れているのかを敏感に感じ取れるようになった。商社時代も「誰とでもうまく関係を築くバランス感覚」を評価されていたが、それは今、「人と人、人と自然とを繋ぐ活動に欠かせない資質になってる」
ヨガで人生を進化させる
ヨガを始めた理由は、驚くほどシンプルだった。もともと親しんできた運動としての身体感覚と、当時関心を深めていた哲学や心の世界。その二つが自然に重なったものが、彼にとってのヨガだった。始めた当初は、純粋に楽しかったという。身体が変わり、これまでできなかった動きができるようになる。日々の小さな成長を実感できることが、何よりの魅力だった。
一方で、続けるうちに、もう一つの感覚に気づいていく。ヨガをしている時間だけは、思考が静まり、意識が呼吸と身体へと向かう。仕事でも、人間関係でもない。未来でも、過去でもない。ただ「今の自分」に集中している感覚だった。その体験に、彼は可能性を見出した。ヨガは、心と身体を整えるための手段であると同時に、人が自分自身と向き合うための、最初のきっかけになり得る。そう感じるようになったという。
そこからヨガを自分自身と向き合う「手段」として伝えることに興味を持ち始める。そしてRYT200(全米ヨガアライアンス認定資格)に挑戦し、 5ヶ月間にわたるトレーニングを経て、2026年1月25日にインストラクター資格を取得した。
(RYT200取得。IGNITE YOGA代表のJuriさんと)
実際に学び、実践を重ねる中で、彼が強く感じるようになったのは、ヨガの可能性の大きさだった。それは単なる運動でも、リラクゼーションでも、一般的な健康法でもない。自分の内側と向き合うための、極めて実践的なツールだった。
身体の感覚に意識を向け、呼吸に集中する。次第に思考が静まり、本来備わっている感覚が戻ってくる。すると自然と、自分の「状態」に気づけるようになるという。無理していること。緊張していること。頑張りすぎていること。我慢していること。本当はこうありたいと思っている自分。ヨガは、そうしたサインを、言葉ではなく感覚として気づかせてくれる。
この体験を通して、彼は確信した。ヨガは、より良い生き方を伝えるための手段になり得る。それは、タコスと本質的に同じ構造だった。そう考えたことが、ヨガ講師への道に挑戦するきっかけとなった。
-「ヨガは、決して女性のためだけのものではない」-
本来ヨガは、身体と意識を鍛えるための実践であり、歴史的にも男性を中心とした修行体系として発展してきた。現在では、トップアスリートが身体づくりやリカバリーのために取り入れ、ビジネスパーソンが思考整理や集中力回復、いわば“脳のOSアップデート”のために活用している。これは精神論ではなく、機能の話だ。身体を整え、呼吸を整え、神経系を整える。
その結果として、判断力と集中力が戻り、自分の状態を正確に認識できるようになる。ヨガは「癒し」ではなく、コンディショニングのツールであり、同時に、自分の可能性を最大限に引き出すためのツールでもある。柔術や格闘技と相性が良いのも、同じ理由だ。可動域、重心感覚、呼吸、集中、脱力——すべてがつながっている。男性にも体験してほしいと強く思う。
「現場に立ち続け、人と向き合ってきたからこそ、今の自分の活動には嘘がない」
かつて鉄の営業マンとして世界を駆け回った商社時代、農業ベンチャーでの現場経験も、食の世界への挑戦もタコスもヨガも、現在取り組んでいる活動は、バラバラな点の集合ではなく、過去の全ての経験が一本の線で繋がった、彼にしか描けない「生き方」そのものなのだ。
誰もが最大限に人生を楽しめる「きっかけ」作り
彼が見据える未来は、個人へのアプローチに留まらない。 「現代人は皆、忙しすぎます。意図的に『余白』を作らないと、自分らしさに気づくきっかけすら得られない。」
彼が提供するタコスや料理教室、リトリートやこれから始まるヨガクラスはすべてそのための「入り口」。今後は個人だけでなく、企業や組織に対してもこの「余白」をデザインする活動を広げていきたいと語る。
商社という大きな船を降りた彼は今、自分の手で漕ぎ出す小さな舟で、多くの人の人生を豊かにする「きっかけ」を運び続けています。
ラボの仲間たちへ
いつも僕の実験を応援してくれてありがとうございます!!「一人でできることには限界がある。社会に出て一人になってみて、改めて仲間の大切さを実感しました。これから食、運動、自然、これらをツールとして、日常をより豊かにする非日常時間を届ける挑戦をしていきます。こうしたキーワードにピンとくる方がいたら、ぜひ一緒に新しい体験価値を作っていきましょう!」
結び
挫折を味わった少年時代を経て、人の気持ちを察する「バランス役」としての強みを磨いてきたヒロさん。彼の周りに人が集まるのは、その穏やかな語り口の中に、確固たる「実験精神」と「他者への貢献意欲」が溢れているからだと感じました。次はどのような「入り口」を私たちに見せてくれるのか、楽しみでなりません。
今後もHonda Lab.メンバーへのインタビューを実施していきます。お楽しみに!
interview by @SHOTA @みぃ @Norihito
Text by @SHOTA (松山 将太)












