第五十二弾は、現在、ハワイを拠点にスポーツマーケティングやテレビの撮影コーディネートなどを手掛け、人生の新たなフェーズへとシフトチェンジしている阿部栄一(@ハワイのあべっち )さんにお話を伺いました。大手旅行会社からハワイでゼロから独立。コロナ禍という強制終了を経て、61歳を迎えた今「好きなこと」だけに全力を注ぐライフスタイルへシフトを果たしているハワイのあべっちさん。一歩を踏み出す勇気と、人生を自分らしく味わい尽くすヒントに迫ります。

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ハワイ在住の起業家。(ABEE’S INC CEO・SAMURAI SPORTS MARKETING LLC CEO)。大手旅行会社JALパックにてツアコンや営業、ハワイ駐在を経験した後、40歳で独立しハワイにて起業。ハワイのスポーツイベント情報を発信する「スポナビハワイ」の立ち上げをはじめ、大型スポーツイベントの運営やテレビ番組の撮影コーディネートを手掛ける。現在も日米でのデュアルライフやインバウンド向けサイクリングツアーなど、新たな挑戦を続けている。

20年の軌跡と、コロナ禍がもたらした「選択と集中」

ー まず最初に、現在の仕事、これまでの経歴について教えてください。
    2005年にハワイで設立した「ABEE’S INC(エイビーズ)」という会社を経営しています。今年でちょうど丸21年が経ち、22年目を迎えたところです。仕事としては、スポーツマーケティングや日本のテレビ番組の撮影コーディネート、日米間の事業展開サポートなどを中心に手掛けてきました。2016年には、日本でツアーオペレーター会社として「SAMURAI SPORTS MARKETING LLC」を設立しました。

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https://www.abeeshawaii.com/
 
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https://www.samuraisports.co.jp/

    コロナ前は、ハワイのスポーツイベントを日本語で紹介・手配するポータルサイト「スポナビハワイ」を軸に、社員も10人ほど抱えて事業を順調に拡大していました。しかし、パンデミックが収束に向かっても、ハワイへの日本人観光客数は以前の半分程度しか戻らず、さらに歴史的な円安というダブルパンチに見舞われました。2-3年は以前の規模を取り戻そうと必死にあがいたのですが、ある時「ハワイでコロナ前と同じ体制を維持しようとするのは、もう時代に合わない」と思い切り替えました。

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【コロナ禍、地元企業を支援する「サポートアロハ」プロジェクトの動画をオフィスから配信】

そこからは一気に「スリム化」を進めました。オフィスを解約してホームオフィス化し、ハワイ・日本共に正社員を置かないスリムな体制にし、ChatGPTをAIアシスタントとして活用しています。現在は「ホノルルトライアスロン」や「ホノルルレインボー駅伝」「ホノルルマラソン」といった大型イベントの運営・サポートと、テレビ撮影コーディネートの2本柱に事業を極限まで絞り込んでいます。

    一方で、歴史的な円安を単なるピンチではなく「好機」と捉え直し、新しい挑戦も始めました。アメリカ人にとっての日本旅行の熱狂的な需要に着目し、アメリカのサイクリストを日本の豊かな田舎町へと誘客する「インバウンド・サイクリングツアー」への特化です。ハワイ側の「ABEE’S INC」が集客とツアー企画を担い、日本の受け皿会社である「SAMURAI SPORTS MARKETING LLC」が現地での手配や運営を行っています。

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【切り替えてハワイから日本へのサイクリングツアー開始】

10年越しの念願と、運命を引き寄せたグリーンカード

ー 住む場所にハワイを選ばれた原点にはどんな背景があったのでしょうか?

    元々は、日本で10年間サラリーマンをしていて、JALパックで高校生の頃から夢だったツアーコンダクターを務めた後、営業を担当していました。営業出張で何度も足を運ぶうちに、ハワイの風や独特の空気感に惹かれました。

それと共に当時のJALにとってハワイ路線は絶対的な看板で、1日に10便近いジャンボ機が飛んで、毎日7-8千人という日本人がハワイへ渡る熱気に満ちあふれていた時代でした。「ホノルルマラソン」など様々なスポーツイベントを含めた企画を立てられる魅力にも溢れていて、社内でもNO.1の海外支店だったハワイで働きたいという想いもありました。
それ以来、社内の異動希望用紙には毎回「ハワイ」とだけ書き続けました。その想いが結実し、1999年に念願のハワイ転勤が叶ったんです。

    ツアーコンダクターの頃から現在まで一貫しているのは『人に喜んでもらえる仕事がしたい』という想いです。

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【20代後半JALパック営業時代でハワイに出張し海外転勤を希望】

    駐在員としての任期満了が見えてきた頃、ダメ元で応募していたアメリカのグリーンカード(永住権)の抽選に当選しました。もしこれが当たっていなければ、普通に日本へ戻り、サラリーマン人生を全うしていたはずです。「運命だ」と当時は思いました。
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【40歳で独立しエイビーズ(スポナビハワイ)立ち上げ】

ゼロからの事業立ち上げ期!手探りの先に開けた、自らの手で創る未来

ー 40歳で独立されて、最初は順風満帆だったのでしょうか?
    独立してからの1-2年は本当に「飯が食えない」日々が続きました。JALパックを退職後すぐに「ABEE’S INC」を立ち上げたものの、独立前に十分な準備をしていた訳ではなかったので、最初は仕事がほぼゼロからのスタートでした。毎日、様々な場所に営業に行き、徐々に仕事を得ていたものの単発で終わってしまうことが多い状況でした。

特に最初の1年は預貯金を取り崩して生活していて、妻からも「私も働きに出る」と心配され、オフィスも借りられないので自宅の1部屋で作業しながら、子供の小学校の送り迎えをして晩ごはんのおかず作りをする日々でした。

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【30代ハワイへ転勤が決まり子育て開始】

    仕事が舞い込むのを待っているだけでは成り立たないと考えていた時に、自分の原点である「スポーツイベント」に目が留まりました。ハワイには地元の人しか知らない素晴らしいマラソンやトライアスロンの大会が山ほどあります。これらを日本のスポーツファンに直接届けるようなスポーツマーケティングをできないかと考えました。

JALパックハワイ時代にスポーツイベントの企画やマーケティングを手掛けていたこともあり、自分の強みが活かせると考えました。また、イベント主催者と参加者の両方に喜んでもらえる仕事だということが一番の決め手でした。そこから1年間かけて下準備としてハワイ中の大会に自分で参加し続け、写真を撮り、記事を書き、それぞれのイベントを紹介し、エントリー予約ができる「スポナビハワイ」を作りました。   

    ただ、立ち上げたからといってすぐにお客様が来るわけではありません。最初に送迎付きツアーを企画して集まったのは、たった2人の女性だけでした。僕の自家用車に2人を乗せてワイキキから会場へ向かい、英語のブリーフィングを日本語に通訳してあげて、「荷物は預かって待ってますから、楽しんで走ってきてください!」とゴールで手を振るような毎日です。到底利益なんて出ず「これでいいのか」と悩む日々でしたが、この仕事の価値を信じ、撮影コーディネートなどの仕事を並行して請け負いながら、「スポナビハワイ」を本業にするために3年間走り続けました。 
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【レースのスターターコーディネート】

すると4年目あたりから認知度も上がり、マウイマラソンに300人もの日本人が集まるようになりました。収益が上がり始めると、次のアイディアも次々湧いてきて、単なるイベント案内にとどまらず、オプショナルツアーの販売や記事配信まで網羅する“ハワイのスポーツ専門店”のようなポータルサイトへと進化していきました。(現在はSNSのみにダウンサイジング)。

そうして事業の幅を深めていく中で舞い込んできたのが、「ホノルルトライアスロン」に関わる大きな機会です。本田直之さんの盟友である白戸太朗さん(アスロニア)らがホノルルトライアスロンの権利を取得する際、「ハワイ現地での窓口業務と運営をあべっちに頼みたい」と声をかけていただいたのが、また新たな挑戦の始まりでした。

    振り返ってみると当時は大変でしたが、好きなことをやってるのであまり苦労とは捉えていませんでした。好きだからこそ、苦しくないんですね。だからこそ、この時期も乗り切れたのだと思います。

55歳での「強制終了」と、セカンドハーフ戦略

ー コロナ禍で感じた影響はあるでしょうか。
    間違いなくありました。コロナ前は社員も10名ほどいて会社も順調でした。けれどそれと同時に「このままの勢いで進んでいいのか」と考えていました。40歳で独立してからというもの、365日休みなく年間40-50本ものイベントをこなし、家族との時間も自分の時間も削って走り続けてきました。起業したての時は、もちろん家族を養うために働いていました。

しかし、55歳を迎えた2020年、突如としてコロナ禍が世界を襲いました。ハワイから人影が消え、すべてのイベントが消失し、僕の仕事も完全にストップしたんです。物理的に人生が「強制終了」させられた瞬間でした。

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【55歳コロナで2年間日米会社壊滅したころの仙人姿 w(メンタルは元気だったそう)】

    最初は必死で元の状態に戻そうとしていました。けれど、前向きに捉えた時に「強制終了されてよかったのかもしれない」と思えたんです。コロナになって2年ほど経つ頃には、もう元に戻らないだろうと感じていました。元々は50代でリタイアしたいと考えていたこともあり、子供が巣立つタイミングである60歳をむかえる時には、好きなことだけをやろうと決めました。そこから3年間かけて仕事も整理してゆきました。売上は減るのですが、固定費をおさえる形に切り替え、60歳から実際に実行しています。

    本田直之さんの『セカンドハーフ戦略』を読んだ時、まさに自分がコロナ禍を経て直感的に選び取ってきた生き方の方向性を言語化してもらったように感じました。また、自身が考えていなかった「潔くやめる」という視点にも気づくきっかけになりました。

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「60歳時点の実験リスト」―好きなことだけに全力で向き合う

ー 60歳を迎えられてから、具体的にどのような新しいチャレンジを始められているのですか?
    独立した40代当時、実はノートに「健康」「精神」「教養」「家庭」「仕事」「経済」といったカテゴリ別に50歳までの目標設定をしていました。久しぶりにそのノートをひっぱり出してみたら、そこには、「生活に余裕があり、明るく楽しく生きる」と書いてあって..当時は、余裕がなかったんだなと懐かしく思い返しました。

他には「年収3,000万」「カハラに家を買う」「ポルシェに乗る」「クルーザーを買う」という若いギラギラした欲望が書かれていました(笑)。それと共に「50代でリタイアする」とも。その後を振り返ると仕事が忙しかった50歳の時のノートはなく、その続きがあったのはコロナで立ち止まった55歳の時でした。Honda Lab.に入会した時でもあります。

    その時に求めていたのは、資産の額ではなく「健康」「家族」「仲間との時間」「体験」といった目標に変化していました。60歳の節目に「これからの人生は徹底的にスリム化し、好きなことだけにシフトする」と宣言し、コミュニティの仲間から刺激を受けて「60歳時点の実験リスト」を作成しました。Facebookにも投稿しています。

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【60歳を迎えた時のFacebookの投稿より抜粋    ※『50歳』はご本人のジョークです 笑】

    実は小学生の頃から釣りが好きで、『釣りキチ三平』という漫画を読みふけっては、自転車に釣り竿を括り付けて毎日川へ通うような少年でした。親が外へ連れ出してくれる環境ではなかったので、自力で「釣り入門」の本を読み、釣具道具屋のおじさんに質問攻めにして知識を深めていました。その当時から、何かひとつを極めたくなる性格でした。

    大人になった今、「釣った魚を自らの手で美しく捌きたいな」と漠然と思っていたところ、直さんが寿司学校に通い始めたことを知りました。「これだ!」と僕も刺激を受け、直さんのアドバイスで遠距離参加もできる「【銀座おのでら】GINZA ONODERA鮨アカデミー」に通い、結果として寿司まで握るようになりました。

    本田直之さんがよく仰る「元気で動ける夏は、あと何回やってくるか?」という問いが、僕の胸に深く刺さっています。健康寿命で考えた時、僕にとって    残された夏は10年しかありません。だからこそ、今はやれることをどんどん実行に移しています。

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【60歳生き方の舵を切り、家族との時間を増やし息子たちとフィッシング】
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【自宅キッチンに知人を招いて「あべっち鮨」でおもてなし】
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【ワールドカップオランダ戦に息子カップルと貴重な時間】

人生に影響を与えた、モノ・コト・ヒト

ー「人生に影響を与えたモノ・コト・ヒトについて教えてください。
    まず、「モノ」としては、本田直之さん訳の『パーソナルブランディング』が「株式会社Abee's Inc.(エイビーズ)」(Abee'sは名前のAbeから)という社名の由来となり、稲盛和夫さんの『生き方』は人としてどうあるべきか、誠心誠意、感謝、素直、努力などABEE'S Philosophyにもつながる経営理念の哲学を教えてくれました。またジョン・J・レイティーさんの『脳を鍛えるには運動しかない!』によって健康と運動の大切さを認識し、運動は身体だけでなく、脳や人生の質を高めるためにも必要だと考えるようになりました。ビル・パーキンスさんの『DIE WITH ZERO』は「思い出や体験に資産を投資する」という決定的な時間感覚をもたらしてくれました。

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ピーター・モントヤ (著), ティム・ヴァンディー (著), 本田 直之 (翻訳)
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    次に「コト」としては、大きく3つの転換点があります。
1つ目は、社会人の原点となったJALパックでの経験です。「人を楽しませる仕事」の原点にもなっています。2つ目は、40歳で踏み切ったハワイでの独立です。大企業の看板を離れ、自分の力だけで事業を立ち上げて、自らの道を切り開く経験です。そして3つ目が、55歳の時に訪れたコロナ禍です。すべての事業が一時ストップし、物理的に人生を「強制終了」させられたことで、これまでの仕事と人生をスリム化する転換点となりました。

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【20代念願叶いJALパックツアコン時代】
    最後に、「ヒト」は、これまでJALパック時代、ハワイでの起業、仕事を通して出会ってきた全ての人たちです。本田直之さんは、僕がなんとなく「こう生きたい」と思って実践してきたことを、「人生は壮大な実験」「何を捨て、何を始めるか」といった言葉で、腑に落ちる形にしてくれる存在です。
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【直さんから直接セカンドハーフ戦略を届けてもらい感激】

迷ったらGO、Never too lateの精神

ー 大切にされている価値観や座右の銘・習慣について教えていただけますか?
    一番大切にしている価値観は、会社の経営理念にも掲げていますが「人生を楽しみ、心豊かな生活を送る」ことです。そのために、2つの座右の銘を心に刻んでいます。

1つ目は、「Never too late(何かを始めるのに遅すぎることはない)」という言葉。年齢を理由に諦めることはせず、いつからでも新しい挑戦(実験)を始められると信じています。2つ目は、「迷ったらGO!」です。JALパックの営業時代から大切にしている言葉です。やらない理由を探して立ち止まるくらいなら、失敗してもいいからまずやってみることを常に意識しています。

    そして、これらを叶えるための土台となるのが「健康」です。「早寝早起き」を徹底し、日頃から身体を動かす習慣を欠かさないことで、人生を全力で楽しむための健全な身体づくりを大切にしています。一人だと甘えてしまうのでツールを上手く活用しながら、習慣を仕組み化しています。ちなみに大好きなビールはやめられないので、「とりあえず、ビール」ではなく、「まず、ビール!」のスタンスで(笑)。でも月曜日から木曜日を休肝日にしながら、週末は楽しんでいます。

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変化を恐れず、人生という壮大な実験を楽しむ

―Honda Lab.に入って変化したことはありますか。
    Honda Lab.のコンセプトである「人生は壮大な実験」にならって実験が増えすぎて困っていることです(笑)。

もともと、「何でもやってみよう」という気持ちはありましたが、今ではアイデアが次々と湧いてくるようになりました(笑)。    何事もまずは試してみるというスタンスで、日々を楽しんでいます。

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【HondaLab.のイベントにて】

ー 最後に、Honda Lab.のメンバーや記事を読んでいる方へメッセージをお願いします!
    年齢を重ねるにつれて、人はどうしても「できない理由」を探すのが上手になり、新しいことへの一歩を億劫に感じてしまいがちです。ですが、人生は一回きりなので、「迷ったらGO!」「Never too late」の精神を大切にして欲しいです。

特に若い世代の方々には、10年後にどんな自分でありたいかというビジョンを具体的に書き出してみることをお勧めします。書くことでそこに近づくきっかけになると思います。そして、10年後に書き直すと面白いと思います。

「迷ったらGO!」「Never too late」で!
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【50歳でアイアンマンを目指していた頃Honu70.3にて】

P.S.
年齢に関係なくフラットに交流したいので、イベントなどで声をかけていただく際は、ぜひ「さん」付けではなく気軽に「あべっち」と呼んでくださいね!


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今回の「Honda Lab. SPOT LIGHT」では、ハワイに移住・独立された阿部栄一さんにお話を伺いました。「何かを始めるのに、遅すぎることはない」――。生き生きとやりたいことにチャレンジされ続ける姿に力強いパワーをいただく時間となりました。
@ハワイのあべっち  、貴重なお話をありがとうございました!



今後もHonda Lab.メンバーへのインタビューを実施していきます。お楽しみに!

interview  @みぃ (細井美里)
Text by     @みぃ   (細井美里)



▼コロナ禍の時のインタビュー記事はこちら(2022年)
https://hondalab.jp/contents/9b500f1b3df3

▼それ以外のインタビュー記事一覧        ぜひ、ご覧ください♪
https://hondalab.jp/contents?category_id=1046