挑戦する人の可能性を引き出したい!
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奥多摩を拠点に、コミュニティプロデューサー・マネージャーとして個人クリエイターを中心に大企業まで約20のコミュニティに携わる@カズキ (高田和樹)さん。
カヌースラロームのアスリートであり、クロスフィットのトレーナーであり、メンタルパフォーマンスコーチ、寿司職人の顔も持つ。肩書きだけ見ると、いったい何者なんだろうと思ってしまう。
でも話を聞けば聞くほど、その全てが一本の糸で繋がっていることがわかってくる。
「挑戦する人の可能性を引き出したい」——その一点が、あらゆる活動の根っこにある。
今回は、カヌーとの出会いから、コミュニティの世界に飛び込んだきっかけ、そして「焚き火」に例えたコントリビューションの哲学まで、たっぷりと伺いました。
カヌーが、人生の羅針盤だった
-まず、現在のお仕事について教えてください。
主にコミュニティプロデューサーとコミュニティマネージャーとして、個人の方や企業と一緒に仕事をしています。
継続的に関わっているものからスポットでの相談まで含めると、約20のコミュニティに携わっていて、メインで深く関わっているのは5〜7つほどでしょうか。
Honda Lab.をはじめ、出版社やブランド、個人では元スターバックスCEOの岩田松雄さん、フーディーの浜田岳文さん、ニュージーランド在住の執筆家・四角大輔さんなど、本当に幅広いジャンルの方と一緒に仕事をしています。最近では、漁師コミュニティのようなマニアックな領域の支援もしています。
それ以外にも、クロスフィットのトレーナー、クリエイターやアスリートへのメンタルコーチング、地方のアドベンチャーツーリズムやリトリートの企画なども手がけています。
-このような多岐にわたる仕事に関わるようになったきっかけは何でしょうか?
ルーツはカヌーなんです。
秋田出身で、子どもの頃から川遊びが大好きでした。カヌーイストの野田知佑さんのライフスタイルに憧れて、その流れでカヌーという競技を知りました。
すぐに「やってみたい」と思ったんですが、秋田には当時、国内でも有名なクラブチームがあって、オリンピアンや日本代表を毎年輩出するような名門だったんです。
敷居が高すぎてそこには入れなくて。あとから聞いたら、全然ウェルカムだったそうなんですけど(笑)。
大学に入ってから、代々木公園を散歩していたときに、ふと日本カヌー連盟を見つけたんです。
そのままアポなしで入って、「カヌーやりたいんですけど」と。
「今忙しいから後で」と名刺だけ渡されたんですが(笑)、その日のうちにメールを送って、次の日には奥多摩の御岳渓谷でカヌー体験をしていました。
そこからスラロームという競技を始めました。
激流の中に吊るされたポールの間を順番通りに通過していく競技で、傍から見るとかなり過酷そうなんですが、やっている側はめちゃくちゃ楽しいんですよ(笑)。
始めて間もなく群馬のみなかみで行われた全日本選手権に出られることになったんですが、右も左もわからないまま当然ボロ負け。 (なんと @久保 英弘 さんも見ていたとか)
それが悔しくて、もっと上手くなりたくて。
その大会で優勝したのは同い年の羽根田卓也くん(カヌー競技アジア初のオリンピックメダリスト)。
彼の実家にカヌーを送りつけて、「練習させてください」と武者修行に行ったりもしました。
気がつけばどんどんのめり込んで、年代別のナショナルチームにも選ばれていました。
ただ、海外遠征に行くにも費用は基本的に自腹です。
国内外いろんな場所へ行くので、時間と場所に縛られる働き方ではカヌーを続けられない。
でも、カヌーはやめたくない。
そこで「どうしたら好きなことを続けながら働けるのか」を考えるようになったんです。
参考にしたのが、ナオさん( @Nao )や四角大輔さんでした。
二人のように、好きな場所で、自分らしく働きながら生きていく。
どうしたらそんな生き方を実現できるんだろう。
その問いを持ったことが、今の仕事につながる最初の入口だったと思います。
▲カヌースラロームとの出会いが、すべての原点だった
▲はじめて出場したフランスでの国際大会。レベルの高さを目の当たりに
「やってみたい」と思ったら、まず飛び込む
-カヌー連盟へのアポなし訪問や、羽根田さんのもとへの武者修行など、昔からかなり行動派だったんですね。
そうですね。でも、振り返るとカヌーより前からそうだったのかもしれません。
高校時代に、毎朝新聞を取りに行くのが僕の役目で、おじいちゃんと新聞を読みながらお茶を飲んで、それから学校に行くのが日課でした。
ある日、その新聞にハンガリーへの留学生募集という小さな記事を見つけたんです。
応募条件に「日本文化を紹介できること」とあったんですが、「剣道はみんなやってるかな」と思って、とっさに「三味線できます」と書いたんです。
できないんですけど(笑)。
そしたら書類が通ってしまって。
出発までは2週間。
そこから三味線の名人を探して、学校帰りに毎日みっちり習いました。
ハンガリーに行って、特に披露する場もないのかなと思っていたら、現地で突然「この中に三味線アーティストがいます!」と紹介されて(笑)。
震える手で無我夢中に弾き終わって、顔を上げたらスタンディングオベーションでした。
あの景色は今でも覚えています。
「本気でやってみれば、意外と何とかなる」
という感覚が、あのとき身体に刻まれたのかもしれません。
「やりたい」と思ったら、まずやってみる。
それは今も変わっていないですね。
▲冬季オリンピック競技のボブスレー、農業や林業、寿司など、さまざまなことに挑戦
20人が3人に。剣道で身についた「続ける力」
一方で、高校時代にはもう一つ、自分の土台になっている経験があります。
剣道です。
剣道推薦で高校に入ったんですが、最初の練習で道場の扉を開けた瞬間、目の前をパイプ椅子が飛んでいって。
「大変なところに来てしまった」と(笑)。
夏休みもほとんどなくて、休みはお盆の2〜3日だけ。朝と夜の二部練習で、つらすぎて「早く夏休み終わらないかな」とカレンダーに毎日バツをつけていました。
最初は20人近くいたメンバーが、高校3年になる頃には3人まで減っていました。
僕自身、一度だけ逃げ出したことがあります。
今までの人生で明確に「逃げた」と感じている経験は、あの一日くらいです。だからこそ、今でも鮮明に覚えています。
顧問の先生がずっと言っていたんです。
「社会に出ても、これよりきついことはそうそうない。ここを乗り越えたら、どんな道に行っても絶対に役に立つ」と。
実際、高校の部活を最後までやり切ったことで、
「どんな環境でも、自分は続けられる」
という感覚ができた気がします。
この経験は、今も自分を支えていると思います。
▲HYROXへの挑戦。仕事やスポーツの苦しい場面を乗り越えられるのは、高校時代の経験があってこそ
「この人を、このまま埋もれさせてはいけない」
-「挑戦する人の可能性を引き出したい」という今の仕事につながる原体験はありますか?
リクルートでゼクシィの営業をしていた頃のことが、一つ大きいですね。
担当していた地方のホテルの結婚式場に、50代半ばの男性ウエディングプランナーがいました。
まだ今ほどオンライン環境も整っていなかった時代に、青森の山の向こうで病床にいる新婦のお父さんを衛星電話で結婚式につないだりするような、本当に常識の枠にはまらない人だったんです。
その人を見ていて、
「この人を、このまま埋もれさせてはいけない」
という、勝手な使命感みたいなものが湧いてきて。
当時、ウエディングプランナーの全国コンテストがあったので、本人に黙って応募書類を書いて送りました。
そしたら書類審査に通って、決勝へ進むことになった。
でも本人はPowerPointも使ったことがない。
なので、スライドも台本も全部僕が作って、当日は操作まで担当して(笑)。
結果、全国2位になりました。
あのとき、自分のこと以上に嬉しかったんですよね。
地方で素敵な取り組みをしている「こんなすごい人がいる」ということを、たくさんの人に知ってもらえた。
その人が本来持っているものが表に出て、評価される瞬間に立ち会えた。
今振り返ると、あのとき感じた喜びは、今コミュニティの仕事で感じているものとかなり近いです。
夜中に六本木へ。コミュニティの世界へ飛び込んだ日
-では、実際にコミュニティを仕事にするきっかけは?
ある日、カヌーの遠征から帰った夜中の12時頃。
シャワーを浴びて、さあ寝ようかなと思いながらFacebookを開いたら、
四角大輔さんが、
「ものすごいことを思いついた。このアイデアを言葉にしたいのでコピーライター募集!」
みたいな投稿をしていたんです。
コピーライターじゃないけど、なぜかすごく気になって。
「今行きます!」とコメントして、そのまま六本木へ向かいました。
着いたら四角さんはほろ酔いで(笑)。
そこで、今でいうオンラインコミュニティをつくりたいという話を聞きました。
実は僕は当時すでに堀江貴文さんのオンラインサロンの9番目の会員だったり、いろいろなサロンに入っていたんです。
2014年頃で、まだオンラインサロンという言葉も一般的ではなかったんですが、面白そうだからとりあえず入ってみよう、と。
そこで仕組みをある程度理解していたので、
「こういう形ならできますよ」
と四角さんに提案したら、翌日から一緒に動き始めて、1カ月半後には立ち上がっていました。
それが、今の四角大輔さんのオンラインコミュニティ「LifestyleDesign.Camp」の前身です。
当時は、交流はFacebook、イベントはPeatix、決済はPayPalというように複数のサービスをつなぎ合わせて運営していました。
でも、これが本当に大変で。
「だったら、コミュニティ運営に必要な機能を全部まとめた専用システムを作ろう」
という話になり、開発したのが、現在Honda Lab.でも使われているOSIROです。
僕も創業メンバーの一人として開発に携わりました。
▲マンションの一室で始まったOSIRO構想時のブレスト
「この仕組みなら、あの人の夢を実現できる」
OSIROが形になったとき、
「この仕組みなら、ずっと温められていたあの人の構想を実現できるかもしれない」
と真っ先に思い浮かんだ人がいました。
元スターバックスCEOの岩田松雄さんです。
岩田さんとの最初の接点は、リクルートの盛岡支社にいた頃でした。
東日本大震災のあとに岩田さんの著書『ミッション』を読んで、強く感銘を受けたんです。
当時は、震災のダメージを受けていた東北を少しでも盛り上げたいという気持ちがありました。
本を読むことはできても、著者本人の話を直接聞く機会は地方にはなかなかない。
「だったら、自分で呼べばいい」と思って、自腹で講演料を出して岩田さんを岩手に呼びました。
その後も関係が続く中で、岩田さんはずっと、
「いつかリーダーシップの学校をやりたい」
と話されていたんです。
OSIROができたとき、
「これを使えば、全国の人が参加できるリーダーシップの学校をつくれるんじゃないですか」
と提案しました。
すると「やろう」と。
そうして岩田さんが、OSIRO最初のコミュニティオーナーになってくれました。
岩田さんのスクールを開校した時の挨拶で、
「こういう場をつくることが私の夢でした」
そう言ってもらえたことは、この先もずっと忘れられません。
振り返ると、ゼクシィ時代に感じた、
「この人の価値を、もっと多くの人に知ってもらいたい」
という気持ちと同じだったんですよね。
挑戦している人の声を、もっと多くの人に届けたい。
その人の可能性が、もっと広がる場所をつくりたい。
それが、少しずつ「コミュニティ」という仕事になっていったんだと思います。
▲岩田さんを自腹で岩手にお呼びしたとき
▲四角さんとの北海道での湖水浴
コミュニティの力は数字だけでは測れない
-そういった経験が、今の仕事にも活きているんですね。コミュニティマネージャーとして、大切にしていることは何ですか?
やっぱり、
「その人が何を求めているのか」を想像して、必要なものを渡してあげること
だと思っています。
コミュニティって、結局は人の集まりなんですよね。
一対一の関係性が一個一個積み重なって、結果として「いいコミュニティ」になっていく。
よく陥りがちなのが、数字だけで測ろうとすることです。
100人、200人と人数が増えても、中にいる人は一人ひとり全然違う。
それぞれが何を考えていて、何を求めているのかをちゃんと把握しているかどうかがすごく大事だと思っています。
一人ひとりを知っていると、
「あの人とあの人、絶対合いそうだな」
「今度イベントに来たら紹介しよう」
というのが自然に出てくる。
以前、まったく違う分野の二人をつないだことがあったんですが、気づいたら二人で新しいプロジェクトを始めていたんです。
そういう瞬間に立ち会えることが、コミュニティマネージャーの醍醐味ですね。
誰かの可能性が動き出す瞬間を、すぐそばで見られる仕事だと思っています。
A面ではなく、「B面」に宝物がある
人って、A面——肩書きや仕事内容——は自然に見えやすいですよね。
でも、Honda Lab.のSpotLightのように、普段見えていない部分が見えてくると、その人への親近感が一気に湧く。
「そんなこと好きだったんだ」
「そんな経験していたんだ」
と、人間味が出てくるんです。
その人が本当に情熱を持っていることを聞けたときって、
宝物を見つけたような感覚
になるんですよね。
だから、そういうB面をどれだけ引き出せるかは、コミュニティの豊かさにもすごく関係していると思います。
-B面を引き出すために、何か意識していることはありますか?
一緒にカヌーに乗るのが一番ですね(笑)。
半分本気の冗談ですが、本質的には「同じ体験をすること」だと思っています。
昔から「同じ釜の飯を食う」と言いますよね。
楽しいことだけでなく、しんどいことも一緒に経験すると、その人のメインの肩書きとは違うところがどんどん見えてくる。
旅行先でトラブルに遭うとか、スポーツの大会を一緒に乗り越えるとか。
そういう経験が、その人のことを一番教えてくれる気がします。
これはクロスフィットのトレーナーをやっていても改めて感じます。
毎日違う高強度のトレーニングをグループでやるので、自然と仲間意識が生まれるんです。
最初はダイエットや筋力アップを目的にジムへ来た人たちが、そのうち「そこにいる仲間に会うこと」も目的になっていく。
さらにその仲間たちと、
「台湾でHYROXに出よう」
「今度みんなで登山に行こう」
という話が生まれていく。
きっかけとなったメインの目的を越えたところに、新しいつながりや挑戦が生まれていく。
体験には、そういう力があるんだと思います。
「焚き火」に学んだ、貢献のかたち
-Honda Lab.のキーワード「コントリビューション(貢献)」について、カズキさんはどう考えていますか?
僕は、自分が本気で挑戦していること自体が、すでに一つのコントリビューションになるんじゃないかと思っています。
IRONMANでもそうですよね。
誰かが挑戦している姿をブログや投稿で見て、それが誰かの勇気になったり、「自分もやってみよう」というきっかけになったりする。
コミュニティを、僕はよく「焚き火」に例えるんです。
最初から大きな木を置いても、なかなか火はつかないじゃないですか。
まずは着火剤や葉っぱ、木くずのような燃えやすいものに火をつける。
そこから少しずつ薪に火が移って、だんだん大きな焚き火になっていく。
コミュニティも同じだと思っています。
まず一人、本気で燃えている人がいる。
それを見た人が、
「あの火、なんか気になるな」
「自分も行ってみようかな」
と近づいてくる。
その人にも火がついて、また別の誰かがやってくる。
そうやって少しずつ焚き火が大きくなっていく。
だから、
自分が燃えていないと、他の人を燃やせない。
最悪、灰になってもいいじゃないですか。
灰は肥料にもなるので(笑)。
失敗したとしても、その経験自体が次の誰かの糧になる。
だから結局、
「自分がやりたいことを、本気でやる」
ことが、一番の貢献なんじゃないかと思っています。
これは自分への自戒でもあります。
僕の座右の銘に「流水不腐」という言葉があります。
流れている水は腐らない。
だから、自分自身も流れを止めずに挑戦し続けたいんです。
日本が誇る自然の魅力を発信する
-今は自然豊かな奥多摩に住まわれていますね。
カヌーの練習のために移住して、もう十年近くなりますね。東京都なんですけど、全然東京っぽくなくて(笑)。最寄り駅で降りた瞬間、空気が全然違う。星空も綺麗だし、川の音、森の音、動物の鳴き声がして、東京に住んでる感覚がまったくない。
田舎あるあるで、玄関前に玉ねぎやキャベツが置いてあったり、大雪が降ったときには除雪の道具を近所の人が置いてくれたり。歩いていると知り合いによく会うし、時間がゆっくり流れている。
コロナ以降、移住者も増えていて、カヌーや登山、トレイルランニングをフィールドにする人たちも多い。そういうアウトドアを軸にした自然なコミュニティが、奥多摩エリアにはあります。
そういうゆるいつながりと、自然の中での暮らしが、自分にはちょうどいいんですよね。
今後は日本の自然環境の魅力をもっと発信していきたいという気持ちもあります。カヌーのワールドカップなどヨーロッパを回った時に感じたんですが、日本の自然って、日本人自身が過小評価しているんですよね。北は流氷、南はサンゴ礁、電車や車でさっとパウダースノーの山に行ける国なんて、世界でも本当に珍しい。実際、ニセコや白馬、みなかみのような場所のアウトドアとしての魅力を最初に発見したのも、実は海外の旅行者でした。
日本にはまだ誰も気づいていない自然の魅力がたくさんある——そこに光を当てたいんですよね。いま進めているアドベンチャーツーリズム、リジェネラティブツーリズムの企画も、そういう思いと繋がっています。
▲拠点にしている関東でのカヌースラロームのメッカ、御岳渓谷
「途中経過」が、最高の貢献になる
-最後に、ラボのメンバーへメッセージをお願いします。
人生は壮大な実験だ!
なので、「完成形」を見せることよりも、途中経過もバンバン出して欲しいです。迷いとか葛藤とか、そういうところが一番の貢献になると思っていて。
失敗した経験や、うまくいかなかったこと。そういうリアルな過程が、Labの中の人にとっても外の人にとっても、実はすごく貴重な財産なんですよね。それを見て「あ、自分もやってみよう」と誰かが思えれば、それが最高のコントリビューションだと思います。
それからLabのメンバーでも、まだB面を知られていない方がたくさんいると思っています。ビジネスの部分だけじゃない挑戦も、どんどん見せていただきたいなと。会いにいきます!
なんか、SpotLightを一年後に同じ人にインタビューしたら、全く違うことをやってる——そういう人がたくさんいるのがLabの強みだと思っているので。「現在進行形」の挑戦を、もっともっと見ていきたいですし、自分自身も出していきたいと思っています。
自分が燃えていることが伝わると、焚き火はもっと大きくなる。
そのためにまず、自分が本気で燃えていられるかどうか——それが、自分への問いでもあります。
結び
カズキさんへのインタビューを終えて浮かんだのは、まさに「Connecting the dots」でした。カヌー、剣道、コミュニティ、寿司、クロスフィット、奥多摩……一見バラバラに見えるすべてが、「挑戦する人の可能性を引き出したい」という一つの軸に収束していく。
話を聞いていると、カズキさん自身がずっと「燃えている人」だということがわかる。夜中に六本木に飛んでいき、自腹で講演会を主催し、ハンガリーで三味線を披露する。そのエネルギーが人を集め、コミュニティを育て、また新しい挑戦の火種を生んでいく。そしてその先にいつも、「誰かの可能性が開く瞬間」がある。カズキさんが動くのは、いつもそこを見ているからだと思った。
印象的だったのは、カズキさんが「完成形」を語ろうとしないことだ。迷いも、葛藤も、途中経過も、全部ひっくるめて「今の自分」として差し出す。その姿勢そのものが、誰かの背中を押す力になる。コントリビューションとは、磨き上げた言葉や成果物だけではない——泥臭く前へ進む「現在進行形の姿」こそが、人の心を動かすのだと、改めて気づかされた。
焚き火は、燃やす側だけでは成立しない。「あの火、なんか気になるな」と近づいてくる人がいて、はじめて大きくなっていく。カズキさんはその火を絶やさず、次の誰かの「挑戦」を待ち続けている。引き出したい可能性は、きっとまだラボの中にも眠っている。
ラボは今も燃えている。きっと一年後、また違う景色の中で、カズキさんは全力で燃えているだろう。そしてまた、誰かが火に引き寄せられているはずだ。
@カズキ 高田和樹さん、熱いお話をありがとうございました!
interview by @みぃ / @Norihito
Text by @Norihito (桑原令人)














