「カニの街」でカニを捨て、但馬牛を焼く。城崎温泉を世界へ解き放つ「逆張り」のイノベーター
カニシーズンが終わると、この街には食の魅力がなくなってしまう――。関西屈指の温泉街として知られる兵庫県・城崎温泉。11月から3月までの松葉ガニシーズンには、溢れんばかりの観光客で賑わうこの地域において、それは誰もが口にすることを恐れた「不都合な真実」だった。その当たり前の平穏に抗い、15年前、街の主たる武器であるはずの「カニ」を出さない、但馬牛専門のレストランを併設したわずか9部屋の小宿を立ち上げた男がいる。
一見すると、爽やかな笑顔と卓越した行動力で街のあらゆる要職をこなす、絵に描いたような成功者。しかし、その歩みを紐解けば、中学生から親元を離れた過酷な全寮制生活、父親の張り巡らせた「修行」という名のレール、そして新しい挑戦のたびに立ちはだかった家族や地域からの反対や辛辣な意見など、数々の摩擦と葛藤の連続だった。
―なぜ、彼はリスクを恐れずに街の常識を覆し、世界中から人を惹きつける「未来の城崎」を創り出せるのか?
その圧倒的な巻き込み力の根源にある「本気度」の示し方、そしてコロナ禍のどん底から街全体を「稼げる構造」へと塗り替えた、データと情熱が織りなす地方創生の真実に迫る。
城崎温泉にて但馬牛専門のレストランを併設する小宿「小宿 縁」を経営。実家である老舗「三国屋旅館」を弟に託し、15年前に廃業した旅館を買い取って一から設計・創業。さらに「城崎サイクリング」を立ち上げ、ガイドツアー事業を展開。湯島財産区議員、城崎温泉観光協会理事、旅館組合理事などの地域要職を歴任し、インバウンド誘致や城崎の観光を牽引する。
カニの街でカニを捨てる――但馬牛に賭けた「逆張り」の挑戦
兵庫県・城崎温泉は、一歩街へ足を踏み入れれば、浴衣姿の湯客が下駄を鳴らして外湯を巡る、美しく完成された温泉街である。この街の経済を支えているのは、冬の味覚の王様「松葉ガニ」だ。11月から3月末までの漁期、街はカニを求める人々で祭りのような賑わいを見せる。しかし、それは裏を返せば、春から秋にかけての「食の空白期間」を意味していた。
「子供の時に、母親が作ってくれた但馬牛のローストビーフが大好きだったんです。地元には、世界に誇れる但馬牛という素晴らしいブランドがあるじゃないか、と。これを城崎で本気で広めれば、カニの時期以外にも、年間を通して『お肉と温泉』を目的に、世界中からお客さんが来てくれるはずだと思ったんです。」
そう語る田岡氏が、15年前に仕掛けた挑戦は、街の常識からすれば無謀極まる「逆張り」だった。二軒隣で廃業し、手つかずのまま放置されていた古い旅館を買い取り、一から設計。そこに、但馬牛の専門レストランを内包した、わずか9部屋の小さな宿「小宿 縁」を立ち上げたのだ。
▼小宿 縁のHP
しかも、城崎の宿でありながら「夕食にカニを出さない」という決断を下す。当然、周囲の反応は冷ややかだった。
「一番反対したのは、身内である私の家族、特に父でした。新しいことを始めるのには、常にリスクが伴うし、批判も受ける。父は私をそんな大変な目に遭わせたくないという親心から、猛反対したんです。」
並の人間であれば、そこで引き下がったかもしれない。しかし、田岡氏の「本気度」は並大抵ではなかった。説得のための材料を揃えるべく、言葉ではなく、自らの「姿勢」で本気を示したのである。但馬牛のブランド化をともに志す、地元の「上田畜産」の社長に頭を下げ、城崎温泉から車で1時間半もかかる場所にある牧場へ、1週間の無償修行へと飛び込んだ。
「毎朝五時に起きて牧場へ通い、牛舎の掃除から何から汗まみれになって働きました。夜遅くに帰ってくる生活を1週間続け、肉や牛のことを死ぬ気で勉強した。その必死な姿を両親に報告し、話をしていったら、最終的に父が『大変だと思うけど、お前が本当にやりたいんだったら、やって結果を出せ』と言ってくれたんです。」
椅子作りから始まった10年の全寮制生活と、有馬・ロンドンで培った「広い視野」
なぜ、田岡氏はこれほどまでに強固なマインドセットを持ち、見知らぬ環境へ躊躇なく飛び込むことができるのか。その原点は、小学校卒業と同時に訪れた、あまりにも劇的な環境の変化にある。
「小学校を卒業するタイミングでうちの父が卒業した東京の学校に『お前も行ってみないか』と言われて。小学生ながらに、なんか面白そうだなと思って、中学受験をして東京の全寮制の学校に入ったんです。」
しかし、そこは単なる進学校ではなかった。徹底した自立と人間力を育む、ユニークかつ苛烈な教育方針で知られる一貫校だった。
「入学して、教室に入ったら椅子がないんです。最初の授業は、自分の椅子を木で作るところから始まる。それが学校生活のスタートでした。敷地内では豚を飼い、野菜を育て、魚を養殖していて、それらすべてを学生たちで管理しなければならない。グラウンドの排水が悪いと言われれば、自分たちで設計して排水溝の溝を掘り、自転車通勤の人のために小屋を建ててくれと言われれば、一から設計して小屋を建てる。」
150人が寝食を共にする寮生活。平日外出は原則禁止、土日の外出にも上級生の厳格な許可が必要だった。中学生にして5〜6人のチームを組み、月に数回、150人分の朝食を自分たちで作る役割をこなした。
「よく友達と言っていたのは、『俺たち、無人島に放り出されても生きていけるよね』ということ。どこでも生きていける生活の術と、どうやったらできるかを自分で進んで考える力が、あの十年間で身体に染みついたんだと思います。」
大学卒業後、新宿のホテルで4年間サラリーマンとして働いた後、悩み抜いた末に、田舎の良さ、そして生まれた城崎という土地への愛着を再確認し、田岡氏は実家の旅館を継ぐべく、地元に戻る意志を父親に伝えた。しかし、父親から返ってきたのは、予想だにしない言葉だった。
「『まだ帰ってこなくていい。有馬温泉の旅館に話をつけてあるから、そのままそこへ行け』と(笑)」
そこから田岡氏は日本屈指の古湯・有馬温泉の老舗旅館「御所坊」へと赴き、1年間の修行生活を送ることになる。それまで経験してきた大型ホテルの「お客様に呼ばれてから動く、待ちの姿勢」とは異なる、旅館の「お客様が求める前に一歩踏み出して提案する、攻めの接客」の真髄と楽しさを、ここで叩き込まれた。
有馬での1年が終わった後、次の父親からの指示は「イギリス・ロンドンの叔父のレストランへ行ってこい」というものだった。自ら一年間のビザを取得し、ロンドンの中心地・ピカデリーサーカス近くの日本食レストラン「菊」へ、ホールスタッフとして飛び込んだ。
「毎日必死に働きながら語学学校へ通いました。休みのたびにヨーロッパ中をバックパッカーのように旅して回る中で、世界の広さ、文化の違い、そして日本という国の小ささを強烈に肌で感じた。あのロンドンでの一年がなければ、今の私のインバウンドへの問題意識や、世界を見据えた視点は絶対に生まれなかったと思います。」
一見、父親の強力なリーダーシップに流されているように見えて、田岡氏はその先々で、自らの血肉となる経験を圧倒的に吸収していった。椅子作りから始まった自立の精神と、有馬、ロンドンで磨かれた圧倒的な視野。そのすべてが、後に城崎温泉という伝統の街を大きく揺り動かすための伏線となっていたのである。
世界を城崎へ、街のデータを共有する――インバウンドとDXで仕掛けた「稼げる街」への変革
ロンドンから帰国し、実家の「三国屋旅館」で7年間現場を支えた後、先述の「小宿 縁」を立ち上げた。しかし、彼の情熱は自らの宿の経営だけに留まらなかった。彼の目線は常に、城崎温泉という「街全体」の持続可能性へと向けられていた。
「この地域で暮らしていくためには、街が元気でなければいけないというのが大前提にあります。街が死んでしまえば、自分たちの商売も絶対に成り立たないですから。」
その強い危機感から、田岡氏は30代の頃、地元の青年会議所のまちづくり委員長として、当時まだ誰も本気で取り組んでいなかった「インバウンドの誘致」に目をつけた。
「当時、城崎全体の宿泊客数は右肩下がり。それなのに、街のプロモーションは相変わらず関西圏や関東圏にばかり向いていた。私は、世界に目を向けなければこの街に未来はないと確信していました。そこで、前観光庁長官だった溝畑宏氏を街に招いて講演会を開き、当時の豊岡市長との対談をファシリテートしたんです」
「今すぐ世界へ向けた準備をしなければ手遅れになる」という前観光庁長官の強烈な言葉が引き金となり、豊岡市に「海外戦略室」が新設された。翌年、予算を確保した行政の担当者から「田岡さん、一緒に海外へ行きましょう」と声がかかり、イギリスで開催される世界最大級の旅行博「ワールド・トラベル・マーケット」へと飛び立つ。
「東京や京都、北海道といった巨大な観光地が巨大なブースを構える片隅で、私たちは『豊岡市・城崎温泉』という本当に小さなブースを作って、泥臭くBtoBの商談を重ねました。メディアや旅行会社を一件ずつ口説き、実際に城崎へ来てもらい、魅力を発信してもらう。私たちがターゲットにしたのは、アジア圏の団体客ではなく、欧米豪の『旅行慣れした個人客』でした。日本の伝統的な温泉文化を、マナーも含めてリスペクトし、深く楽しんでくれるファンを増やしたかったんです。」
その狙いは見事に的中する。当初、年間わずか2000人程度だった外国人観光客は、4000人、9000人と増加、コロナ前には6万人に達した。
しかし、2020年、世界を襲ったパンデミックは、この美しき成功への歩みを完全に停止させた。
「コロナが始まってすぐ、当時の旅館組合理事長が城崎温泉として『ロックダウン』することを決断しました。2020年5月の1ヶ月間は街すべての旅館が予約を止め、商店も完全に閉めた。街は本当にゴーストタウンのようになりました。」
未曾有の危機。しかし、城崎のリーダーたちは、ただ指をくわえて耐えていたわけではなく、この強制的な停止期間を、街の「構造改革」のための最大のチャンスへと変えてみせたのだ。
国が打ち出した高付加価値化補助金を活用し、街中の旅館が一斉に客室の改装や風呂のグレードアップを行い、単価を引き上げる下地を作った。さらに、豊岡市が主導した「豊岡観光DX」の取り組みにおいて、城崎の事業者たちは全国の観光地が驚愕するような「実験」に踏み切る。
「城崎にある約70軒の旅館のうち、約40軒が、自社のリアルタイムな予約データや客単価のデータを、共通のサーバーに開示・共有することに同意したんです。普通、自社の売上や単価データなんて、競合である他の旅館に一番見せたくないじゃないですか。でも、城崎の人たちは『街のためになるなら』という圧倒的な信頼関係で、データを豊岡市のDMOに差し出したんです。」
集まったビッグデータを分析し、街全体にフィードバックした結果、驚くべき変化が起きた。
「これまでは、それぞれの経営者が勘と経験だけで宿泊料金を決めていた。でも、データが可視化されたことで、『周りの旅館がこれくらいで売れてるなら、うちももう少し値段を上げられるな』という平均値が見えるようになった。街全体で、需要に応じた適切な『値決め』ができるシステムが完成したんです。」
客室数を減らしてクオリティを上げ、データに基づいた適正なプライシングを行う。その結果、コロナが明けた現在、高付加価値の工事で客室数が減ったこともあり、城崎温泉全体の集客人数自体は減少気味であるにもかかわらず、街全体の「総売上」はコロナ前を遥かに凌駕しているという。(2019年の城崎宿泊客の客単価に対して2025年は1.37倍)
インバウンド客数はコロナ前の6万人を超え、年間8万〜9万人にまで膨れ上がり、驚くべきことに、日本全体のインバウンドの多くをアジア圏が占める中、城崎温泉の国別シェアの1位はアメリカ、次いでフランス、スペイン、イギリス、カナダと欧米豪の先進国がダントツのシェアを誇っている。田岡氏の宿にいたっては、全宿泊客の4割から5割が外国人客だという。
「しんどいことは山ほどあります。でも、私はあんまり失敗を失敗と思わないようにしている。うまくいくと信じて、できることを全部実行してみる。それでもダメだったら、その時に考えればいいだけですから。」
伝統を守るために、自らを破壊し、アップデートし続ける。城崎温泉が伝統を守りつつ、前例のない改革を次々と進める理由が、田岡氏のこの言葉に凝縮されていた。
未来のビジョン:世界中の人が訪れる理由作り
現在、田岡氏が仲間と共に取り組んでいるのは、40年前に自らの父親世代が作り上げた伝統的な「外湯巡り」のシステムを、現代、そして未来の価値観へとアップデートする新たな実験だ。
「Honda Lab.の皆さんもサウナが大好きですよね。サウナは、熱いサウナ室に入って、水風呂に入って、外気浴でととのう、というサイクルです。城崎の新しい外湯巡りとして、サウナそのものではなくても、『熱い温泉に入り、水風呂に入り、外気浴として浴衣を着て街を散策する』という、街全体を巻き込んだウェルネスのサイクルが作れないかと、今みんなで話し合っています。2030年の春ごろには、新しくサウナを導入する外湯も完成する予定です。」
街を面白くしたい、世界中の人が「城崎に行きたい」と思う絶対的な理由を作りたい――。その圧倒的なワクワク感が、彼のすべての活動の源泉である。
自転車好きが高じて、2011年から1000人規模のサイクルイベントを立ち上げ、自らコースを設計して警察と交渉を重ねてきた。5年前には「城崎サイクリング」という会社を設立し、山陰海岸ジオパークの大自然や地域の歴史文化を体感できる3時間のガイドツアーとレンタサイクルを提供している。
「もしHonda lab.のメンバーが城崎に来てくれるなら、最高の『大人の遊び方』をプロデュースしますよ。朝からゆっくり温泉に入り、レンタサイクルで圧倒的に美しい海岸線を走り抜ける。その後、但馬地域の有名な酒蔵を巡り、但馬牛の牛舎を訪れて生産現場を見た上で、最高の肉と地酒を味わう『ガストロノミーツアー』。暮らすように過ごす旅を、いくらでもアレンジできます」
世界の人が城崎温泉に来る理由を作るという、終わりのない、永遠のテーマ。その茨の道の先に待つ、新しい景色を見るための彼の挑戦は、これからも続いていく。
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インタビュー中、田岡氏は何度も「自分が楽しいと思うことしかやっていない」と語ってくれた。しかし、その「楽しさ」の裏側には彼の愚直で地道な積み重ね、そして生まれ育った街への絶対的な信頼がある。
彼は、父親が敷いた「修行」という名のレールを、自らの意志で最高のジャンプ台へと変えてみせた。そして彼の、改革に邁進する本気の姿勢が人を、街を変える。城崎温泉という伝統の街が、世界の「KINOSAKI」へと進化していくその中心には常に、誰よりもこの街を愛し、誰よりも人生を楽しんでいる田岡氏がいる。
今後もHonda Lab.メンバーへのインタビューを実施していきます。お楽しみに!
@セイジ さんありがとうございました!
interview @しゅーへー 、@みぃ 、@Shota
Text by @しゅーへー (大箭周平)













