第三十七弾は、株式会社ゼットン 代表取締役社長である菊地大輔(@DAISUKE-HI )さんにお話をお伺いしました。様々な経験を経て、創業30周年を迎える株式会社ゼットンの代表取締役社長に就任された大輔さんが飲食業界に入ったきっかけ、価値観の変化、そしてこれから取り組まれたいこととは?
大学卒業後アパレル会社勤務を経てオーストラリアにワーキングホリデーへ。2002年に帰国後、アルバイトとして株式会社ゼットンに入社。その後社員となり、店長職、エリアマネージャー、営業部長などを経て、2013年執行役員に。2015年ZETTON Inc.Hawaiiのディレクターを兼任。2017年ハワイに移住し、ハワイ法人COO。2020年からは本社取締役副社長を兼務し、2021年ハワイ法人CEOに就任。2024年からハワイ法人チェアマン、2025年3月より本社代表取締役社長に就任。
海外への想いとともに―飲食の原点はオーストラリアでの皿洗いから
ーまず最初に、大輔さんの現在の仕事について教えてください。
現在、外食産業のレストランビジネスを中心とした事業を展開している株式会社ゼットンで代表を務めています。2017年よりハワイに移住し、当社の子会社であるzetton inc.にて、昨年まで代表として海外事業の推進に努めていました。2025年の3月から本体である株式会社ゼットンの代表として、今後日本と海外を含め、事業推進をしていく立場となりました。
私が入社したのは2003年のことです。もともと株式会社ゼットンという会社を知っていたわけではありませんでした。入社前の2000年から2001年半ばまでは、オーストラリアにワーキングホリデービザで滞在し、現地のカフェで約8ヶ月間、皿洗いのアルバイトを経験したことが飲食の魅力や楽しさに触れるきっかけでした。帰国後、アルバイトをしながら海外に出て仕事することを考えていました。そんな時、偶然ゼットンの求人募集を見つけ、時給の幅が広かったこともあり、「お金を貯められる」と思い応募しました。面接は現会長の鈴木が担当してくださり、最初はアルバイトとして入社しました。1年ほどアルバイトを続ける中で、社員へのオファーをいただきましたが、仕事にやりがいを感じながらも外食産業の厳しさも痛感していたため、しばらく悩みました。ただ、会社が今後、海外に事業を広げてゆきたいという話を聞いていたこともあり、自分自身の仕事を通じて海外に行けることがベストだと感じ、アルバイトから社員になることを決めました。そこからあっという間に時が流れて今に至ります。
ーオーストラリアのワーキングホリデーに行った理由、オーストラリアを選ばれた背景について教えてください。
元々海外で生活したいという想いがありました。大学時代にはラクロスというアメリカ発祥のスポーツをしており、ラクロスでアメリカに留学したいと考えていました。しかし、父が大学3年時に他界し、金銭的な理由から留学を断念し就職しました。ずっと海外に興味を持っていましたが、特に英語が話せたわけでも、英語が得意だったわけでもありません。ただ、自分の知らない場所や世界を知りたい、行ってみたいという想いを持ち続けていました。新卒で入った会社は飲食業ではなく、アパレルの会社だったのですが、自分の将来について悩み、「何がやりたいのか」「どのように生きていきたいのか」という思いを抱いていました。当時の仕事への楽しさ、やりがいが見出せない状況の中、悩んだ末、新卒一年目で会社を辞める決断をしました。退職後、今後の進路について考えたとき、「一度海外に出てみよう」と改めて思い、海外に行くことを決めました。
海外に行くと決めたものの、特に国は決めていなかったため、まずはワーキングホリデーのエージェントに相談に行きました。その際に英語圏が良いと伝えたところ、私の外見や雰囲気もあったのか担当者にオーストラリアを勧められ、そのまま決めました。渡航先をオーストラリアに決めたもののビザが取得できるギリギリの銀行残高で渡航したため、現地到着後は、ホームステイと語学学校に1ヶ月通っただけで残高が半分以下になってしまいました。「夢の海外生活があと1ヶ月で終わってしまう..」という状況になり、仕事を探す必要に迫られました。
【オーストラリアワーキングホリデー中のカフェでの1枚】
語学学校のスタッフや友人たちに、「とにかくお金がないので働きたい」と伝えて仕事を探しました。英語は話せませんでしたが、当時は海外のジャパニーズレストランでワーキングホリデーの方々が非常に安く働くのが一般的でした。ただ、自分自身は英語を話せるようになりたかったこともあり、現地の方が利用するようなお店を探していました。ちょうどそのタイミングで、知り合いから「近くのカフェで皿洗いの募集がある」と教えてもらい、自分で履歴書を持参してカフェに出向きました。「インタビュープリーズ」や「ルッキングフォージョブ」などと伝え、簡単な面接を受け、皿洗いとして1週間のトライアルのチャンスを得ることができました。「このトライアルに受からなければオーストラリアから帰国しなければいけない」と思い、全力で頑張った結果、正式に採用していただきました。最終的に、オーストラリアにはワーキングホリデービザと観光ビザの期間を合わせて、約1年3ヶ月ほど滞在しました。その後はバリに移り、2ヶ月ほど世捨て人のような生活をしていました。
ー社員になられてからお仕事で海外に赴任されたのはいつ頃だったのでしょうか。
当社が初めて海外進出したのは2006年か2007年頃で、オーストラリア・シドニーの店舗を買収したタイミングでした。当時、既に社員だったため、海外に行けると思っていましたが選ばれませんでした。その後、2009年にハワイでアロハテーブルを開業し、これがアメリカ事業の始まりとなりました。オーストラリアの店舗は残念ながら2013年に撤退してしまったため、オーストラリアに行くことは叶わなかったのですが、ハワイには事業準備のヘルプとして一時的に赴任することができました。そこから2014年までは営業のトップとして国内事業が多忙だったこともあり、なかなか海外に行くことはできませんでした。
2014年にようやく、ハワイで2店舗目となる「GOOFYCafe&Dine(以下グーフィー)」をオープンした際に「やってみるか」と会社から任されることになりました。元々、会社には海外事業に携わりたい想いを伝えていたこともあり、会社の方もこのまま海外に行けないままだと辞めてしまうのではないかと思われたのかもしれません(笑)。その後は、日本とハワイを行き来しながら、ハワイ事業と日本国内の事業の両方を担当していました。完全にハワイへ移住したのは2017年で、それ以前の3−4年間は数ヶ月ごとに日本とハワイを横断する生活を続けていました。
ーハワイには、お仕事で行かれる前からご縁があったのでしょうか。
実は、ハワイに行ったことはありませんでした。ただ、当社が日本で「アロハテーブル」というハワイアンレストランを始めてしばらくしてから、本田直之さんの存在を知りました。それ以前からレバレッジシリーズの本は読んでいました。
ハワイで「ALOHA TABLE(アロハテーブル)」を開業した2009年頃、ハワイ関係の方からナオさんの名前をよく聞くようになり、様々なアドバイスをいただきました。特にハワイの店舗に関しては、メニュー構成など、ナオさんにご協力いただきました。その後、私が「グーフィー」を立ち上げるためにハワイに行った時にもワインリストのアドバイザーをしていただきました。この時からナオさんとの接点が多くなり、ハワイでも新たに人のつながりが増えました。
【本田直之さんとハワイで】
最初は「なんでこんなに怖い顔しているんだろう」と思っていましたが(笑)、実際にお会いすると非常に気さくな方でした。ナオさんがハワイに戻ってくると食事をご一緒させていただいたり、いつもいろいろと教えていただいたり、情報交換をさせていただいています。HondaLab.の活動にも一緒に関わらせていただき、非常にありがたく感じています。ナオさんは人間的にも非常にフラットで話しやすい方であり、驚くほど豊富な知識と情報量をお持ちの方だと感じています。
【GOOFY Cafe&Dine:https://www.instagram.com/goofy.hi】
目の前のお客様の『ありがとう』が原動力―現場で感じた飲食業の魅力
ー飲食業の楽しさを感じられたのはどのような点だったのでしょうか。
新卒ではレディースアパレルの会社に総合職として入社しました。販売員ではなく総合職として入社したため、最初は倉庫整理や雑務など、個人研修を兼務した様々な業務を担当していました。しかし、その中で自分の仕事が会社やお客様の役割にどうつながっているか、なかなか理解できませんでした。
一方で、オーストラリアでアルバイトをしていたお店はオープンキッチンで、カウンター越しにお客様の様子が直接見える環境でした。そのため、皿洗いの仕事であっても、お客様から「ありがとう」と声をかけていただけることがありました。また、サービスが良ければチップをいただけるなど、自分の対応がすぐに形となって返ってくる点も大きな違いでした。良いサービスを提供すれば感謝され、逆に至らない点があればご指摘をいただくこともありましたが、自分たちの仕事がそのままお客様の喜びや楽しさにつながっていることを強く実感できました。自分の仕事がお客様の満足に直結し、その様子を目の前で見ることができる―そうした光景は、今でも私の中で一番鮮明に残っています。BtoC事業の中でも、飲食業は最たるものだと考えています。
ーお仕事を続けられる中で、考え方が変わった部分や変わらず大切にしている価値観はありますか。
変化した価値観としては、気付けば自分の下に多くの部下や仲間が増えました。店舗でも同様です。そのため、今は、当社で働くメンバーをとにかく幸せにしたいと考えています。一緒に働いてくれている以上、給与等の待遇面はもちろんのこと、それ以外の処遇についてもできる限り配慮したいと考えています。その中で最も重視しているのは「働きがい」をどのようにつくっていくかという点です。
入社当初は自分自身が一番下の立場で、目の前の仕事や自分自身の成長に集中していました。しかし、役職が上がる中で見える景色や担当する仕事が変わり、現在は社長という立場で会社全体をプロデュースし経営を担っています。経営には必要なスキルや知識も求められますが、何よりも大切なことは当社で働いているスタッフを幸せにすることだと考えています。スタッフにはご家族もいらっしゃいますし、それぞれの人生があります。そういったものを背負っていくという意味で、自分自身の役割の重みの部分が変わったと感じています。
【ハワイ10店舗目となる ALOHA AMIGO Island Mexican cantinaのメンバーと】
一方で変わらない価値観としては、皿洗いをしながら見た光景―お客様と従業員が楽しそうに会話をし、お客様同士がレストランで楽しく過ごしているシーンを生み出すことへのこだわりです。「人生の華は飲食にあり」という素敵な言葉があるのですが、人生の中で家族と食べた焼肉やハンバーグといった食事の思い出など、食にまつわる記憶は誰しもが持っているものだと思います。そのような思い出に残る場や時間をひとつでも多く提供したいという想いは、今も変わりません。
ー飲食業界において感じられる変化はあるでしょうか。
業界の中で変わらない価値観として、「人生の華は飲食にあり」というのが根本にあり、人にとって最も身近な幸せだと考えています。美味しいものを食べる喜びや大切な人と過ごす時間など、食は様々な面で感動を感じるものだと思います。楽しい、嬉しい、お腹が満たされる、癒やされる―そのすべてが「感動」であり、食が果たすべき役割は、どこまでも人に「感動」を届けることだというのは飲食業界において普遍的な価値観として捉えています。
【渋谷にオープンしたこれまでの集大成といえる「渋谷舌呑(シブヤゼットン)」にて】
一方、外食産業は競争力があったり、参入障壁が低いがゆえに業界全体のステータスの低さ、労働環境には課題があると感じています。労働時間が長いことや休みが取りにくいことが、仕事を続ける上での障壁となっています。また、アルバイトが多い業界でもあるため、急な欠勤時には社員が休みを返上して対応しなければならないなど、働き方に課題があります。このような労働時間型の構造を変えていかなければ、今後さらに人手不足が深刻化していくことが考えられます。特に日本の外食産業は、他国と比べ、従業員の報酬面を含め、業界全体の順位が非常に低いです。安くて美味しい食事は日本人にとってはありがたいことですが、逆にいうと従業員の給与が安いということでもあります。実際に、若い世代の方々が飲食業界で働くことが少なくなってきており、時給1,500円、1,600円を支払える産業構造に変革していく必要があると思います。そのような状況下で企業が競争力を持ち、生き残っていくためには、厳しい時代になっていくでしょう。
クリエイティブで唯一無二の価値を ― 街と心に残る店づくり
ーお仕事をされる中で、会社としての強みだと感じていらっしゃる点はどのような点でしょうか。
創業者の時代から、当社の最大の強みは創造性を活かしたクリエイティブな店舗づくりであると考えています。これまで、時代の半歩先をいくライフスタイル提案型の店づくりを行ってきました。普通の企業が実現できない独自の発想や創造力を発揮し、高い運営力で店づくりを実現してきた点が当社の成長の原動力となっています。
【都立明治公園内にオープンした「natuRe tokyo(ナチュール トウキョウ)」
コンセプトはBeyond the“Farm to Table”生産者と消費者の距離を縮め、安全安心な地元の食材を使う地産地消】
2代目になってからは、これまでの創造力をさらに進化させて、公園の開発事業などにも取り組めました。地域活性化やサステナビリティといった今の時代に求められるテーマにも紐付ける形で事業を発展させています。元々はマーケットインの発想で事業を展開してまいりましたが、公園事業に関しては不動産的な視点も踏まえ、新たな事業へと発展してきているような形です。自分自身もその環境で成長してきたので、ゼットンにしかできない店舗づくり、ブルーオーシャン、ホワイトスペースの世界観に身を置くような少しずらした戦略をとってきていることも強みだと考えています。一つ一つの店舗づくりに時間がかかる点が課題でもありますが、全ての軸において「クリエイティブ」な部分が強みだと考えています。
【公園再生プロジェクトのひとつである、葛西臨海公園再生事業】
柔術にも挑戦?!人から広がる挑戦の連鎖、人と食への尽きない想い
ーハワイから日本に戻られてプライベートの過ごし方に変化はありましたか。
久しぶりに友人と会ったり、実家にも顔を出してはいますが、まだ余暇の過ごし方が定まっていない状況です。2月末から単身赴任で日本での生活が始まり、やりたいことはたくさんありますが、しばらくは様子を見ながら過ごしています。8年ぶりの日本勤務ということもあり、社内には初対面のメンバーも多いので、お店や会社メンバーとのコミュニケーションを取ることに多くの時間を使っています。平日は業務が中心のため、会食や打ち合わせは週末やランチタイムに行うことが多いです。
HondaLab.メンバーのシゲさん(@しげ )から柔術にも誘われており、ナオさんもハワイや日本で習っているのを見て、柔術を始めることはほぼ確定しています(笑)。元々、日本にいるときはトライアスロンをしていましたが、現在は離れています。ハワイに住んでいた時はサーフィンをしていました。
ーお仕事・プライベート含めて、人とのつながりの中で大切にされていることや影響を受けたことなどがあれば教えてください。
私が飲食業に興味を持ち、社員として働くことを決めた理由は、飲食業こそ「人」がすべてだと考えているからです。世の中の多くの企業でも「経営は人なり」といった言葉が使われており、人的資本経営の重要性が語られていますが、飲食業は特に人の存在なくして成り立たない業界だと感じています。現場で働き始めた当時は全てがアナログで、何もかも自分たち自身で行ってきた産業のため、現場で必要なことは身に付けてきたと感じています。人がいないと成り立ちませんし、個人店舗ではないため、キッチン、サービスのメンバーたちとチームを作れないとどれだけいいコンテンツがあってもいいお店を作ることはできません。自分自身が現場で働きながら、人の大切さを特に実感しました。
また、何よりも自分自身も人が好きで、食事やお酒、人が集う場所が大好きなことも大きいです。人に対して興味があることもこの仕事が自分に合っていると感じる理由のひとつです。時折、「なぜ自分は飲食業を選んだのだろう」「なぜこの仕事を続けているのだろう、辛いなー」と感じることもあります。けれど、夜7時ぐらいに飲食店に行くと「やっぱり楽しいな」と感じることが多いです。それは、他のお店を訪れた時も同じで、改めて飲食業は素敵な仕事だと感じています。
【Honda Lab.ハワイ支部メンバー飲み *お写真をあべっち(@ハワイのあべっち)さんよりお借りしました】
日本にしかない価値は無限大ー再発見した日本の魅力を世界へ
ー今後プライベート、仕事で取り組んでいかれたいことについて教えてください。
私が日本に戻ることを決めた大きな理由は、日本の外食産業に対する想いが根底にあったからです。改めて、日本は、素晴らしい国だと感じています。海外で生活するほどに食の美味しさはもちろん、日本人の性格や気質、国土が持つ自然、歴史、文化の豊かさなど、どれを取っても本当に優れていると思っています。特に日本人の協調性や時間を守る姿勢は、世界的に見て非常に高い水準だと思います。
しかし、日本人や日本の価値が世界で十分に評価されていないと感じています。国内においても「人口減少」や「厳しい時代」という声もよく聞かれますが、私はそうは思っていません。特にレストラン産業に関していえば、日本人は世界的に見ても非常に高い適性とクオリティーを持っていると確信しています。実際、アジア諸国でも日本の価値は高く評価されており、日本のクオリティーや信頼性が世界中から求められています。自分自身もハワイで事業経験があり、十分に海外でも勝負できると感じています。それにもかかわらず、日本の外食産業がまだグローバルに展開しきれていない現状があります。今後は日本国内だけでなく、ハワイをはじめ、アジアやヨーロッパなど、よりグローバルなビジネス展開を積極的に推進していきたいと考えています。
個人的に取り組んでいきたいことは、50歳を迎えた今も人生を楽しみ続けたいと考えています。健康はもちろん大切ですが、ビジネススキルや経験に加えて、芸術的な感性やクリエイティビティ、美意識をさらに伸ばしていきたいです。MBAとか経営のスキルを磨く以上に、値段をつけることができないアートのように新しいものを生み出す感性がこれからの時代にはより重要になると感じています。
―HondaLab.に入って変化したことはありますか。
HondaLab.に参加して一番感じたのは、メンバーの皆様が非常に多彩であるということです。皆様それぞれが個性豊かで、面白い方が多いので刺激的なインプットをいただいています。飲食業界にいると同じような分野の人々と接することが多いですが、HondaLab.では全く異なる分野の人々と交流できるため、感性が高まり、刺激を受ける場となり、とても感謝しています。
ー最後に、HondaLab.の皆様へメッセージをお願いいたします。
これまでHondaLab.のハワイ支部のメンバーの1人として活動していたため、日本のメンバーの皆様と直接お会いしたり、対面でじっくりお話しする機会をなかなか持つことができず、日本の皆様を羨ましく感じていました。今後は日本に滞在する期間も長くなる予定ですので、日本のHondaLab.のメンバーの皆様とも色々なお話やチャレンジを重ねて、一緒に「人生は壮大な実験だ!」を体現できればと思います!
また、6月17日には、中目黒に新しい店舗「韓国ポチャ イヨサンソウル」をオープンしました。元々中目黒にあった「アロハテーブル」を今回リニューアルし、韓国の屋台酒場のような雰囲気を楽しめるお店です。女性のお客様にもお気軽にご利用頂ける、楽しい空間を目指しています。これからの季節、テラス席も気持ちいいと思うのでぜひ、利用していただけるとうれしいです。
◾️韓国ポチャ イヨサンソウル
◾️株式会社ゼットン 店舗一覧
https://www.zetton.co.jp/shop
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今回の「Honda Lab. SPOT LIGHT」では、3月に代表取締役社長に就任された菊地大輔さんにたくさんのお話をお伺いさせていただきました。大輔さんの価値観はもちろんのこと、会社の魅力にも改めて触れることができ、お店に伺うことにワクワクする、楽しみが増える時間でもありました。@DAISUKE-HI さん、貴重なお話をありがとうございました!
今後もHonda Lab.メンバーへのインタビューを実施していきます。お楽しみに!
interview・ Text by @みぃ (細井美里)